それからが大変でした

 

 強く打ったという膝をめくり出させますと、皮膚がパクリと裂けて血が出ていました。急いで救急セットがある戸棚に走りましたが、脱脂綿がありません。「人形工房にある」とのこと。やむなくティッシュペーパーに代用させて消毒液を塗りました。次いで医院に電話を入れようとすると、「往診の時間で先生は留守よ」と妻。6時までは医者がいないそうです。母の主治医でした。「さて困った」。私には次の医者がわからない。妻が104番をして、買い物時に見かけたという医者を調べ出し、電話をし、訪ねることになりました。

 その日、所用で出かける予定があった私は、妻に運転してもらって駅まで送ってもらう予定でしたが、無理になりました。幸いなことに、義妹が人形工房に来る日でしたから、妻が義妹に「送らせます」といってくれたのです。

 そうなると、私としては、その車に妻にも乗り込ませ、医者に連れて行ってやってもらいたい。ところがその時点になって、妻が「保険証がない」と言い出したのです。いつも口をすっぱくして「所定の場所に返すように」言ってありましたが、守っていませんでした。

 外出する日でよかったと思いました。怒鳴り散らかす時間がなかったのです。義妹の運転でしたから、車の中でも抑えました。外出から帰宅してからじっくりと話したのです。

 まず、常備すると決めたものは、決めたところに置いておくこと。夫婦2人で共用するものは、常は余分の1つを置いておき、それには手をつけないようにすること、と妥協しました。

 次に、緊急時のために、医者などの電話番号は電話帳に書きとめておくこと、と言いつけました。このときに屁理屈を言いかけましたから、今回「君が気を失っていたら、わたしはどうすればよかったのだ」と、訴えました。そして、「医者の名前ではだめだ。『救急』などの見出しにして、第三者が見てもわかるようにすること」と補足しました。

 妻は常に、私に何かがあったときのことは考えているようですが、自分に何かがあったときの配慮を欠いています。「お互いに、自分のことより、相手の身に何かが起こったときのほうが(状況を把握しにくいだけに)心配になることを覚えておくこと」と訴えました。

 そんなときは救急車に頼ればよい、と妻は考えたようです。そこで私は、私は「マムシに咬まれたときも、救急車を呼ぶな」と訴えたはずだ、と指摘しました。あの時「君がいなければ、私は呼んでいなかった」「自分で処置したし、自分で処置できる範囲を広めたい、と思ったはずだ」。そのときに「あるはずのモノが、あるべきところになかったら、情けなくなって、死んだほうがましだ」と思っていたに違いない、と訴えました。

 実際は、妻が独断で救急車を呼び、医者に運ばれ、命拾いしたのですが、いなかったらどうなっていたか。入院して血清を打ったのに、ものすごく腫れて、毒の怖さを思い知らされました。だからといって、これに似たことが医者に行かずに生じたとしても、私は自ら進んで救急車に頼ろうとはしなかったように思うのです。自分の処置の甘さを反省しながら、運を天に任せていたと思うのです。妻もきっと「そうしていただろう」と思ったはずです。

 この時点になって、妻は子どものころに大怪我をしたことを思い出したようです。手首に大怪我をして、もう一歩で出血多量でオダブツでしたが、命拾いをした思い出です。駆けつける医者などない田舎で住んでいました。ですから、親の処置に任せました。一歩間違っていたとしても、必死で世話を焼く親に安堵し、吾ごと以上に心配する家族に感謝の念を抱きながら死んでいたことでしょう。私もそうした死が理想です。