敗戦秘話

 

 NHK-TVの「そのとき歴史が動いた」その2でした。日本は1945年8月15日の玉音で終戦を決め、9月2日にアメリカの戦艦ミズリー号の甲板で敗戦を認める調印に応じたことは良く知られています。問題は、なぜ日本が9月2日を記念日として尊んでこなかったのか、その背景を浮き彫りにしました。それが、過去の清算にしくじらせ、新生日本の誕生に失敗させ、戦前を引きずらせてしまった、と訴えただけでなく、それが日本の体質だと気づかせました。

 なぜそのようは事態に至ったのか、上層部の巧みな操作と、それに同調してしまった国民のありようを見事に描き出し、それが日本の体質だ、といわんばかりの内容でした。

 よくよく考えて見たら、大分教員汚職事件や汚染米・事故米事件も同じ体質が原因と見なければいけないわけだ、と考えました。その手に、戦前と同様に、ジャーナリズムまでがまんまと乗っているようにおもわれてなりません。

 法に従っていなかったことを盛んに強調しますが、順法の大切さは良くわかりますが、その法が適切であったか否かをもっと厳密に問うことが先決ではありませんか。国民を不安や不信に陥れながら、そのような事態を生じさせかねない法であったことを糾弾してほしい。

 ここでまた小泉さんを思い出しました。「法に従っています」の一点張りで、菅さんが非を認めて身を引いたのと同じことをしていながら、首相であり続けました。そして、非がなかったイラク攻撃の尻馬に乗り続けることを国民に強要しました。本来なら逆です。

 法を改める責任を付与されていた最高責任者が小泉さんであったのです。改めようと思えばいつでも改められる状態(衆参とも多数与党)であったわけです。小泉さんのような人を許さないために改めるべきところを改めず、利得に走り、「法に従っています」の一点張りで切り抜けた。この点をジャーナリズムは糾弾し、国民を喚起すべきであったと思うのに、残念でした。

 これでは若者は希望など描けないでしょう。この、法に精通した人が、有利に利得に走れる法を容認している限り、日本は地球規模の潮目の変化に乗ることなどできないでしょう。それに耐えられなくなった人が、内部告発などの道を選び、「飼い犬にかまれた」と経営者を嘆かせているのが今の日本ではないでしょうか。

 それでは日本はジリ貧でしょう。