かつて私は国粋主義者でした。このたび次の本に用いる写真を探していたときに、苦い思い出を伴った1枚の写真が出てきました@。8mほどある木のポールを自分で立て、国旗掲揚台にして、大きな日の丸をへんぽんと翻し、好戦的な考え方をしていたころの写真です。
その意識もてつだって、商社での仕事に励んだように思います。しかしその後、宗旨替えをしたわけです。そんなことをしていたら自分も乗り合わせている宇宙船地球号を沈めてしまいそうに思ったのです。その後、それ以前の意識と、宗旨替えした考え方の両面から、なにごとも見てしまう弱気な自分にしてしまいました。
ですから、靖国神社にこだわりとおせる小泉さんや、志願して特攻隊員になった若者を美しい日本人として堂々とたたえる安部さんの気持ちはよくわかります。1970年ごろまで、つまり40年ほど前までの私も同様であったからです。
宗旨替えをした後、犠牲者の順番が逆転しました。『蟹工船』の小林多喜二など平和や平安を願って殺された人たちを1番に上げるようになりました。民間人の戦災者も順位をあげました。もちろん、民間人も無罪とは思いません。でも、同情の余地があるからです。そして、職業軍人と赤紙で狩り出された人の順位を逆転させ、大きな間隔を設けました。
そんな過去を振り返ってしまい、ついには汚染米問題、大分県の教員登用八百長問題、年金受給額を組織的に減額していた問題はもとより、さまざまな問題が、戦線の体質の延長線上にある、と思うにいたったのです。すべてが、国民をないがしろにする意識の産物です。
このような苦々しい気持ちが覚めやらないときに、関西でも、民間被災者が国を提訴することになったとの記事に接したわけです。
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