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冬バージョンとドイツの建築家 08/10/05

 今週から冬バージョンになりました。午前中に庭仕事に出る場合は、朝のうちではなく、外気が暖まった10時ごろから昼までと、午後も昼食後から17時ごろまでで、夏バージョンの16時ごろから暗くなるまで、は返上しました。温室の遮光ネットもはずしましたし、広縁のよしずもはずしました。昼食の麺類も、冷たいものはやめて暖かいものになりました。パジャマも冬用にかえましたし、毛布も出しました。屋内でも靴下をはき、フリースのベストを羽織っています。

 夕食で、鍋料理が始まりました。妻の友と、私の友の2軒から、示し合わせたように少し間を置いて、美味しい豆腐や豆腐で作った品々を届けてもらったのがきっかけです。この冬の最初の鍋料理は湯豆腐でした。最後のゴーヤを用いてゴーヤチャンプルも賞味しました。私たち2人は、ともに豆腐が好物ですから、ご機嫌の1週間になったわけです。

 ドイツの建築家で、環境問題に精通した権威者が来日中ですが、わが家にも立ち寄ってもらえました。戦前の生まれで、戦後の混乱期に辛苦を体験し人だし、工業社会のあり方に疑問を抱いてきた人だけに、話がとても弾みました。意気投合の喜びを味わいました。お互いに何をいわんとしているのかが、通訳の言葉を待つまでもなく半ば理解しあえたように思います。

 とりわけ、わが家のナチュラルリサイクルに興味を示してもらいました。私の場合は、体験的に、科学技術偏重のリサイクルには疑問を感じています。問題をかえって複雑にしてしまうに違いない、と見ているわけです。わが家をこのドイツの建築家に紹介した人は、科学技術によるリサイクルを疑問視して高名な学者です。そんなわけで、わが家が繰り広げる庭を活かした循環型生活に、とりわけ生ゴミのコンポスト方式に、とても興味を示してもらい、勇気付けられました。なんらの道具も設備も用いないで、庭の残滓と生ゴミを地元のバクテリアに処理させる方式です。庭や畑からでる残滓を井桁を組むようにして積み上げる作業は面倒ですが、これほど無駄のない方式は他にはないと思いますし、臭いにも悩まされることもありません。

 畑では、モロヘイヤを抜き去り、冬野菜の畝に仕立てました。カキチシャ(チマサンチェ)の苗が順調に育っていますから、来週にでも畝に本植えします。これまでに用意してあった畝には、義妹がくれたミズナとミブナの苗を、妻が植えつけました。私は、これも義妹がくれた白菜の苗を、先月半ばに白菜の種をまきながら、種をコオロギに食べられて失敗した畝の半分に植えつけました。その畝の残る半分には、妻がポットで育てた10数本の苗をすでに植えつけていますし、先月半ばにまいた種から出た苗が1本だけ残っており、育っています。今のところはいずれの苗も大差ない大きさですが、これからどのような成長ぶりを示すのか。興味津津です。

 ユリネを育てていた畝も仕立て直しました。ユリネを収穫し、いつでも冬野菜の種をまいたり苗を植えつけたりできるようにしたわけです。これから、タマネギは苗から、ツタンカーメンのエンドウだけでなく、この冬からスナップエンドウも種から育てようと思っています。また、第2次のホウレンソウや小松菜も育てたい。ナツメの実を収穫し、妻が甘露煮にして保存しました。

 キーウイフルーツとムベの棚の補修もしました。ケンが錆びさせ部分と、雨だれが当たって支障が生じていた部分の補修です。溶接機を持っていないのでホームビルダーに依頼しました。とりわけムベの棚は、蔓が絡まっている部分での補修でしたからとても難しい作業でした。もしこれで雨が降っても支障が生じないと(私も見ています)すれば、見事な補修です。

 週末は東さんを訪ねました。京都の水に精通する友に誘われました。65年も京都に住み、数えきらないほど前を通り過ぎていながら、これまでに東本願寺を訪ねてことがなかったのです。
 
豆腐に恵まれました。妻の友は、ご実家が豆腐屋さんで、新大豆が採れたときに特別の豆腐をこしらえ、わが家もお裾分けにあやかります。青っぽい汲みだし豆腐は格別です。私の友には、自慢の豆腐屋さんのさまざまな名物製品を送ってもらいました。豆腐だけでなく、生湯葉なども抜群です。

ドイツの建築家と楽しい時間を過ごしました。ソーラー発電についても意見を交わしました。ドイツが国家としてソーラー発電の普及で示した方向性に、この人は胸を張りましたが、うらやましく感じました。日本もあわてて補助金制度を再開しましたが、これから設置する人が、やっと採算が取れる水準に達した程度の話です。国家の健全な意思や方向性を感じられません。

ユリネを掘り出しました。この7割ほどを食用にまわし、残りは来年用のいわば種にします。来年はもっと腐葉土など有機肥料を入れた畝に植えようと思いますが、ぼつぼつユリネの栽培に精通した農家の意見を聞きたい頃です。私は、プロの意見を聞かずに手をつけ、その苦労のほどを推し量れるようになってからプロの意見を聞くようにしています。

キーウイフルーツの棚の裾部がさびました。ケンが小便をかけるせいです。ですから、かけにくいところまで、セメントで被いました。もう一方のほうは、裾部が腐って中空に浮いた形になっていました。もちろん側に丸太の杭を打ってありますが、トイレと書いていなかったのが気に入らなかったのかもしれません。

ムベの棚は、横の鉄パイプの1本が雨だれが落ちる真下に位置していました。そのために、雨だれが鉄パイプにあたってしぶきをとばし、このたび寝室にした部屋の窓に当たっていました。ですから、そのパイプの位置をずらしたわけです。左は元の位置のまま。

ヘビウリがこのような姿になりました。なんとも不気味なオレンジ色です。もうすぐ腐って崩れそうですが、そのときに種を取り出そうと思っています。

「お東さん」と京都人が呼ぶ東本願寺では、現在1895年に再建された御影堂の大屋根の修復をしています。縁あってその工事現場を見学する機会に恵まれました。1枚13kg前後もあるかわらを17万枚、そのうち70%を交換する講寺でした。総費用100億円は寄進で、国の援助は5%とききました。とりわけ、昔の人が琵琶湖の水を引いて、消化対策を採っていたことに驚きました。また、障壁画の作家は幸野楳嶺(こうの ばいれい)で、その息子が私の中学時代に学んだ美術の先生でした。修理中に出てきた部材から寄進者が明らかになり、ロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、大津事件(おおつじけん、1891年5月11日)に巻き込まれる前日に訪れていたことがわかったようです。