逆恨みの話

 

 25年ほど前までは、母は結婚式など改まったところに出かけるときに必ず指定するタクシー会社があり、その黒塗りの車を希望しました。その後、母の評価が落ち、今もその会社はありますが名声はすっかり地に落ちています。17年前に生じたある出来事を思い出しました。

 過日招かれたレストランで、なぜか「これまでの残念な思い出」が話題の1つになりました。そのときにこのエピソードを思い出していたら、きっと妻も話題に飛び込めて、もっと話に花がさいていたはずですが、すっかり忘れていました。

 友の奥さんが「それはそうかもしれませんが、うちの窓から注意するのはよして下さい」とご主人に願い出ました。友は正義感の強い人で、日本人の良いところに誇りを見いだしています。ですから、それに反する人を見ると電車やバスの中でも注意をします。ある日、自宅の窓から見るに見かねた人に注意をしたのです。その人が奥さんにつらく当たるようになったわけです。

 私の場合はタクシーの運転手との衝突でした。その日は疲れていたのでしょうか、JRの嵯峨(現在は嵯峨嵐山)駅からタクシーに乗ろうとしたのです。東京からの帰路だったのかもしれません。気持ちよくタクシーに乗って目的地を伝えました。ところが「他の車にしてくれ、そんなとこは知らん」との返事でした。その後のやりとりは、道順を「教えますから」「他の車にしてくれ」、「常寂光寺はご存知ですか」「そんな近いところは行きとないんや」と続いたのです。

 この運転手は、生活のために必死になって働いている。儲からん客を乗せたくないのが人情だろうとか、ついには「タクシーの運ちゃんやと思うてバカニにすな」との意見を述べました。

 それがきっかけで4つの結果に結びつけさせました。

 1つ目は、そのタクシー会社の過去の名声を思い出して残念に思うだけでなく、イギリスやアメリカでの数々のタクシードライバーとのやり取りを思い出したことです。

 2つ目は、この2つの思い出を頭に描きながら、乗車拒否したドライバーに説教をしてしまったのです。観光京都では気をつけてほしい。観光客にとって、最初の京都の印象はタクシーの運転手であることが多い。職業をわきまえ、誇りを持ってほしい、と訴えたわけです。もちろんとげとげしい声であったとおもいます。

 3つ目は、それが契機で、私はその後、嵯峨嵐山駅から(自宅まで1.5kmですから)タクシーには乗らなくなっています。

 4つ目は、「テッドのこだわり」という短い文章をこしらえました。

 このたびその文章を読み直してみて、いくつかの感慨に浸りました。この文章を作った1991年の早春は、多くの政治家や事業家が「欧米に学ぶものなし。日本を一つ売れば、アメリカが4つ買える」とうそぶくほど舞い上がっていました。まだバブルの崩壊に気づいていない頃でした。きっと私も、そうとう横柄になっていたのかもしれません。

 その頃の私は、短大から声をかけていただいており、ある夢を描いて翌年からお世話になることを決めていました。前年の1990年に著した『人と地球に優しい企業』で訴えたたことを学生に呼びかけたかったのです。要は、裏返して言えば、自分たちには厳しい企業にならなければならないわけですが、その厳しさが従業員の誇りになり、経営者の自信になり、社会のおける存在意義に結びつけなければいけない、との呼びかけです。

 その一書では、かつてオランダがチューリップの球根を投機の対象にしてバブルを生じさせた「チューリップ事件」を引用し、日本のバブルの崩壊を予見していました。そしていまやアメリカのバブルがはじけて、てんやわんやです。

 こうしたいろいろなことがこの間に生じていたのですが、この運転手は17年間も逆恨みしていたのに、私はすっかり忘れていたのです。とても申し訳なく思いました。