商社時代の仲間

 

 私にとって、このうえなく楽しい1日になりましたが、訪ねてくれた仲間も異口同音に「楽しい1日だった」「聞きしに勝る」といってくれました。17年弱で途中退社した私を、今も仲間として扱ってくれる人たちですが、このたびは、いわば私の退社理由の一端を確かめてもらうために訪ねてもらった次第です。

 退社したのは、今から30年近くも昔の1979年ですから、退社理由をうまく説明できようはずがありませんでした。今でも「工業社会は破綻する。次の時代に早く踏み出さなければいけない」などといっても、そんなに大勢の人に理解してもらえるとは思いません。

 退社するにいたる理由をうまく説明できなかったものですから、このたびは目で見て確かめてもらおうと思ったのです。当時は第4時代に移行しようなどと青臭いことを真剣になって呼びかけるなど、今から思えばまどろっこしい説明をしていたことでしょう。

 その後、アルビン・トフラーが『第3の波』という本をヒットさせましたが、私はその波を騒ぎ立てるよりも大切なことがある、と考えたわけです。それは、その波の後に始まる第4時代のことです。第4時代を視野に入れた動きに一刻も早く移行することです。日本は一刻も早く第4時代に踏み出さないと、存立理由を見失ってしまう、と思ったわけです。

 伊藤忠商事をその牽引車のようにして活かしたいとの心境で訴えましたが、埒があきません。そこで、目で見てわかるモデル作りに集中することにしたわけです。日本は資源枯渇時代の資源小国です。食料争奪時代に自給率最低の先進工業国です。東京に広島型原爆を1つ落とされるだけで機能麻痺する国です。そんな国を武力で守ることなどできるわけがありません。ならばいかに振舞うべきか。第4時代に率先して創出し、移行して見せるしかない、と考えたわけです。

 工業時代に固執していると、植民地主義に固執して太平洋戦争で先進列強に袋叩きにされたように、またババを引きかねないと考えたわけです。

 このような気持ちを、この仲間には、このたびも宴席でぶつけました。この仲間は、こうした話が酒の肴としてピッタリ来る人たちです。今回も、つくづくこうした仲間のおかげで、私は好きなことができたのだと思いました。私はチョッと早く無鉄砲な行動に出ただけで、それはこうした仲間が無言の声援を送ってくれたおかげだと思いました。あえて言えば、この仲間の多くがやりたかったことを、私は実行していたに過ぎない、と思いました。

 それはともかく、もっと大切なことは、この集いで次の行動計画が話題になったことです。この中に「小浜」から駆けつけた男がいます。その男の提案で、小浜にうまい魚を食べに行く計画です。なんとしても私も参加したい。問題は、小浜の「うまい魚を食わせるところは定員が10人なんだ」というところにあります。

 ちなみに、ここでは余談になりますが、どうしても触れたい人がいます。つまり、日本は資源枯渇時代の資源小国、食料争奪時代に向かいながら自給率最低になった先進工業国、そして東京に原爆を1つ落とされるだけで機能麻痺する国との指摘をとっくの昔からしており、そんな国を武力で守ることなどできるわけがない、と訴えてきた人があります。アシスト社を創業したビル・トッテンさんです。この人が、庭のテニスコートを畑に変えたと知ったときに、私はどうしても友の1人にしてもらいたく思ったものです。