JRは、山陰本線の複線化に伴って、旧山陰本線時代は「嵯峨駅」と呼んでいた駅を「嵯峨嵐山駅」に変更しました。理由は「全国的に嵐山が有名だから」でした。嵐山を目指して京都にやってくる人が多い世の中になったのに、JRの駅名に嵐山と名乗る名称がどこにもなかったからです。
また、新たに複線を作ったことで、旧嵯峨駅の先にある小倉山にうがった第1トンネルから亀岡駅までの間の旧単線が不要になりました。その旧単線を観光列車用に活かすことになりました。その折に、この第1トンネルに隣接させて観光列車の始発駅を設けながら、駅名を「トロッコ嵐山駅」としたわけです。理由は「全国的に、小倉山より嵐山のほうが有名だから」でした。仲間の一人が「何でここが嵐山駅だ」と叫んだ理由はここにあります。
ちなみに、落柿舎を庵にした芭蕉十哲の1人・去来は、嵐山を「落ち柿や こずえは近き嵐山」と詠みこんでおり、それが落柿舎の由来です。当時は西山を総称して小倉山とよび、いまの小倉山は亀山と呼ばれていたと聞いたこともあります。
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