「高山病にかかったような心境だ」と妻に語っていたのですが、正解でした。妻が「眠れなくても、横になっているだけで体は休まりますよ」と言ってくれたのにすぐに起き出し、「起きている方が楽だ。寝ると胸がヒュウヒュウ鳴り出す」と訴えました。それも正解でした。刻々と肺に水がたまっていたわけです。万有引力の関係で移動する水が原因でした。まさか知らない間に肺に水がたまるなんて考えていませんでした。
初稿を精査しながら、反省しました。そこに「見かけ倒しとは私のことです。筋肉、骨、そして腸以外は欠陥品です」と記していながら、かかりつけの医者に、私の心臓は大きいだけでなく弱いことを隠していたのです。申し訳なく思いました。
なぜ肺に水がたまったのか、それは心臓に原因があったのです。安物の心臓が風邪によってくたびれ、肺に水をためたのです。なぜ安物の心臓になったのかは今となってはわかりませんが、それが心臓や足などに水をためるそうです。私の場合は心臓に溜まりました。どこにも痛みがないのに呼吸が苦しくなり、刻々と息苦しくなるのです。それは、標高4000m近いチベットのポタラ宮を目指し、階段を1段あがるごとに1度深呼吸を要したときの辛さに似ていました。
これはある種の警鐘でしょう。犬ならその時点で、丸くなって寝込み、自然治癒に委ねるのでしょう。でも文明国の人間は、やれアポインだとか締め切り日だといって、自然の呼びかけを無視してしまうのでしょう。私もそれでした。もちろんそれを、私は少しも悔いてはいません。むしろそれがとても嬉しかったし、生き甲斐にさえ感じました。
でも、逆の立場なら、つまりアポインや締め切り日などに関わった相手なら、「それならそうと言え」「延期する手もあったのだから」と言いたくなるに違いありません。私も逆の立場ならそういいます。そこまで考えるにおよんで、やっと反省しました。
今はこんなことがいえるまでになったわけです。有り難いことに、ベッドを水平にして寝られるようになったのです。
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