どうやら私が乗り合わせ船は、つまり私の体は厄介な代物であったようです。農業や山仕事のように体を使う仕事には向いていない体であったようです。それは10年近く前からわかっていたのですが、思っていた以上でした。しかし、いかんともしがたい。
私は、頭で考えることと現実の乖離や、机の上で学ぶことと現実の乖離を知ってしまいました。知ってしまった以上は、体を駆使して体得する直感や、長年の体験や経験を裏打ちにした思考方法をないがしろには出来ません。要は、その程度の人間で、体で得心しないと安堵できないタイプですから、避けて課題を抱えているわけです。仕方がありません。
もちろん妻には申し訳なく思います。父を看取らせ、母を看取らせ、その上に私を早々と看取らせるようなことがあったのでは申し訳ないことです。そう考え始めたときに、異なる角度からじわじわと、案外良い船に乗り合わせたのかもしれないと思うようになりました。
この船をうまく操って私の願いをかなえたら、これほどラッキーなことはないのかもしれない。つまり、「あの体でもやれたのだから」との勇気を与えるうえで有効に作用させられるかもしれない、と考えたのです。よし、願い通りにあと15年は持たせてやろう、その願いに値する船かどうかの可能性だけはこの際調べておこう、という心境になりました。
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