農山村漁村などの男が召集されて、次々と戦地に追い立てられましたが、残して行く妻子をとても不憫に思ったに違いない、と思ったわけです。
自分にしか出来ない力仕事は誰がするのだ。半年かけて営々と育てた作物などを、一晩で無に帰すなど、うっかりミスも生じかねない。そういう事態と子どもの発熱が併発したら、妻は子どもを優先し、積年の疲れに誘われて添い寝をしてしまうのではないか。霜が降る前に起きだして、手を打たねば
ならないなどとの判断が働くだろうか。子どものことで頭がいっぱいになるのではないか。むしろ母親にはそう頭がいっぱいになってほしい。さりとてそれでは食糧を自給できず、母子は無事に冬を越せ
ないのではないか。
あと数時間で、何を教えたらよいのか。教えられるのか。それを過ぎると、非国民の家族とのレッテルを貼られ、悲惨な母子家庭にして、より以上の辛苦をなめさせそうだ。そうだ、ここで潔く死ねば、軍神の
母や妻子として守られるのではないか。
思えば、今の世の中よりも、まだましな世の中であったのかもしれない。今は、終身雇用と国際的に自負していた会社が簡単にリストラする。お金がなくては水も飲めないような世の中で、年金も食い物にされている。そうしたことを悔やんで死んでも、負け組みにされ、何年連続自殺者30000人以上との統計数字にされるだけ
ではないか、とまで考えてしまいました。
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