妻は、1年で一番忙しくなる日と予測すると、その日は朝からかやくご飯を作り、それをおにぎりにします。昼食をまともには摂れない、とみてのことです。
こうした恒例行事は、他に、開店記念日の赤飯があります。この他に、母が生きていたころは、母がお彼岸の2日ほど前から準備を始めたオハギやボタモチがありました。それを、お店を守る人たちにふるまうことを生きがの1つにして、参画意識を保っていました。
私が担当する恒例行事もあります。それは12月30日の注連縄作りです。この注連縄で、お店を支える人たちの家庭をはじめ、稲を育てた農家やその藁を取り継いでいただくお宅
を飾らせていただき、新年をお迎えしてもらっています。
ちなみに、妻と2人で喫茶店を開く案を構想したときに、とりわけ妻は、両親が反対するのではないかと恐れていました。ところが、むしろ賛成してもらったのです。そこで私は、母には彼岸にオハギやボタモチを作る提案をし、父には中短期の天気予報担当を頼みました。
父は1日欠かさず、母も一度も欠かさず、その役目を果たしました。そのおかげで、日本初屋内全面禁煙の喫茶店を開き、少なくとも関西では最初に商業ベースの太陽光発電機を導入してその電気でBGMを聞いていただける
ような喫茶にできたのです。
それは両親に訴えた喫茶店を開く意義、とおおいに関係があります。 |