愛国心の復活
 

 私も「特攻隊員」を賛美しています。その度合いが高まるに従って、「後に続く、と激励して送り出した上官が生き残った」り、この攻撃を発案した幹部を容認した責任者が生き残ったりしたことを残念に思うようになりました。また、その昔の白虎隊や、薩摩だ、長州だ、といって藩の間のつば競り合いにした人たちも賛美しています。当時はその程度の世界観であったように思うからです。

 しかし今は、国家同士のつば競り合いに躍起になる人を哀れに思います。日本は憲法で、そうした考え方を放棄した国ではありませんか。それを誇りにして、国家間のつば競り合いをいさめる時代ではないでしょうか。

 もちろん、そんなのんきなことを言っておれない事態も想定しておく必要があるでしょう。ですから、スイスのように国民の皆兵化をいといません。その意味で、アメリカの銃規制のありように一定の評価をしています。

 つまり、国家が国民を丸裸にし、唯一国家が操れる武装軍団を強化し、国家間のつば競り合いの一方に加担したり、その武装集団にその加担に存在意義を見いださせたりすることに危機意識を抱いています。それではこれから向かうべき世界観に遅れをとりそうです。

 私たちは今、地球環境を守ろうとする人たちと、つぶし続けている人たちが、2手に別れて第3次世界大戦に突入しているように思われるのです。

 何度も言いますが、かつてわが国は、最後に、植民地政策を掲げた帝国になってババを引き、その先行国に免罪符を与えました。今度は環境政策でババを引かないことを願うばかりです。環境先進国になる以外に、日本の繁栄はありえません。