一定の同情
 

 私は海外旅行の機会を得ると、戦争を告発する戦争記念館なども訪ねるようにしています。そこには、ナチスや旧日本軍が関わった出来事を写真や資料などをそえて解説しています。その多くは、戦争の告発であって、ドイツ人や日本人の非難ではありません。にもかかわらず、日本では自虐的な人間にするとの理由で、それらの実態を十分教育しないで、子どもの目から隠しているようなフシがあります。

 ですから、日本からの旅行者が戦争記念館などを訪れ、多くは若者が訪問記念帳に、「知らなかった。習っていなかった。ゴメンナサイ」などの感想を書き残しています。

 他方ドイツは、ここまで過去を告発しなくてもよいのにと思うほどリアルに、戦争が犯させた出来事を実物大の施設や模型まで作って展示し、その被害ではなく加害を子どもたちに教えています。過去と現在をきちんと断絶させ、外国に出かけて自国の過去の残忍性を知り、あわてる子どもなどを作らないようにしているのでしょう。

 それは、何も過去の問題だけではないはずです。日本の教育を真の未来志向にする必要がありそうです。つまり、未来は今日の延長線上にあるかのごとき教育をし、そこで上手に立ち回る技や術、有利な立場や資格を授けるような教育が中心になっていますが、とても危険だと思います。国家や企業に都合が良い人間を作っていたのでは、現体制の護持のようなことになってしまい、新しい国家や企業を切り開くうえで大きく出遅れるのではないでしょうか。

 今日より明日がより豊かになるとは思えないことを、今日の延長線上には未来がなさそうなことを、子どもたちが認識できるようにしなければいけない、と思います。さもないと、油断させ、甘えた気持ちを持ち続けさせ、やがて唐突に自己責任論を繰り広げなければならないようなことになり、今日以上に残酷な目にあわせるはめになるに違いありません。これまでは、予測不可能であったとシラを切ることが出来たでしょうが、これからはそうは行きません。

 私は1967年に始めてイギリスを訪れました。ベンジャミンの時計をはじめ煤で真っ黒のころでした。次々と植民地を失っていたイギリスで「イギリス病」を笑ったものです。そのイギリスが、今では当時の日本並みの食料自給率にまで高めていたのです。腹8分目で済ます気なら、食料輸入が止まっても、怖くないでしょう。エネルギー自給率も7割前後に高めており、わが国の4%とは比較になりません。それは真の教育を行き渡らせ、目先の損得だけで動いてはいけないことを国民に自覚させてきた成果ではないでしょうか。

 ひつこくこれまで主張してきたことですが、日本はあればあるに越したことがないものを売ったお金で、なくなればたちまちにしてパニックになるものを買っています。とてももろい国家であることを子どもたちに十分に認識させておかないと、子どもたちに失礼ではないでしょうか。私は題の日本ファンだけに不安になります。