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わが子のような4人 09/01/04

 うれしい郵便物と贈り物から始まり、楽しい約束で終わった華やいだ年末年始でした。

 郵便物は、庭の見学に来た学生の感想文です。レクチャーと見学にいつも1時間あまり割きますが、若者に「未来に可能性を見いだせた」といってもらえるほど嬉しいことはありません。時代がそうさせるのでしょうが、人生の目標が出来たとか、考え方が変わった、という若者が年を追うごとに増えています。学生を定期的に引率してくださる教師に、私はとても感謝しています。

 贈り物は、かつて脱サラした若者が助言を求め、夫婦で幾度も訪ねたことがありましたが、その夫婦からのカステラと手造りの味噌です。早速妻はカステラを切ってくれましたが、「このところズーっとカステラが途切れませんね」と注意を促しました。実は体重が、2週間の入院で4kg近く減っていたのに、ジワジワと2kgほど戻っているからです。にもかかわらず、カステラだけは、2人でお茶をするときも、半分コせずに、4〜5cmと1〜2cmの幅に切り分けさせるからです。

 29日は、妻がとても世話になっている女友だちの還暦パーティに招かれました。30日は、しめ縄づくりの日でしたが、8人もの子どもに参加してもらえました。その後、台湾の息子が、そして大晦日から元日にかけては、中国の娘と日本の娘が訪れてくれました。いずれもが、わが子であればよいのにと願っている人たちです。その共通点は、外国で幾日か生活をともにしたことです。台湾の息子とは台北で、中国の娘とは雲南省で出会いました。日本の娘は、スポンサーが大垣市の女性向けレクチャーの受講生でしたが、アメリカへの修学旅行に引率しています。そしてこのいずれとも、かの地での行動を1週間近くともにしています。さらに、そのいずれにもわが家に泊りがけで訪ねてもらい、私と同じように妻も気に入ってしまった人たちです。

 台湾の息子は、30日の3時ごろから一家で訪ねてくれました。その妻の両親を琵琶湖まで案内する途上でした。中国の娘は夫と大晦日の昼前から、日本の娘は夫と一人息子を連れで大晦日の午後から訪れ、庭仕事や食事つくりを手伝ってくれました。そのおかげで、落ち葉掃除だけでなく、山のように積み上げられていた竹の始末までできました。さらに、大晦日の夕刻から、2組の夫婦には夕食作りを頼み、妻はおせち料理に、私は祝いのお鏡餅などの準備と風呂焚きをしながら仕事場の掃除に勤しみました。夕食は、中日両国の年越しの仕方を併用しました。まず中国流の手造り餃子で始め、かつて台湾の息子がくれた33年モノの紹興酒をそえて晩餐としました。中国の娘夫婦は水餃子を、日本の娘夫婦は焼き餃子を、わが家の葉ニンニクも使って作ってくれたのです。締めくくりは妻が用意した日本流の年越しソバでした。

 元旦の食事は、お福茶に始まり、酢の物で締めくくる結婚来35年間変わらぬメニューを、妻が用意しました。中国の娘夫婦は、ともに論文の仕上げが待っており、朝食後雨の中を自転車で帰ってゆきました。日本の娘一家は、あべかわ餅と前夜の蒸し餃子を焼くなどした済ませた昼の後、車で帰ってうきました。このたびは、3種の餃子を堪能したことになります。

 元日の妻は1人で喫茶店を切り盛りし、常連のお客さんに「来年の元日は開かない」と断ったようです。私は午後のすべてを費やして年賀状の整理をしました。印刷機の不具合で投函は5日になりそうです。私は昨年古希でした。妻は今年還暦です。その上に妻は、在宅率が増えた私の3度の食事と10時と4時のお茶だけでなく、やれ喉が渇いたとか電話の子機を持たずに庭に出てしまったとかいって手を煩わされ、さらに寝酒に付き合わされ、へとへとになっているに違いありません。

 2日は、造園業を立ち上げた知友の来訪、3日はシラバスつくりと読書でした。来週の水曜日に、アメリカの娘一家が訪ねてくれることになりました。ホームステイをした長女です。
 
学生の感想文を見て、もう1つの感動を覚えました。引率された教師が、丁寧に読んだ上に、3種のゴム印を使いわけて評価されていたからです。

いつの頃からか、この夫婦にカステラを添えてもらえるようになりました。とりわけ妻は、このたびの味噌に感謝です。昨年妻が漬け込んだ味噌の出来が悪かったのです。麹を分けてもらうお店が代替わりし、息子は父親から秘伝を学びきっていなかったようです。わが家では、妻の手造り味噌をベースにして、贈り物で彩を添えますが、今年は妻の手造り味噌は増量剤程度になりそうです。

蜂蜜にも恵まれました。なぜかこのたびは黒酢や柚子などを生かした加工品が主でした。そのわけは、「今年(2008)は蜂蜜の採取量が極端に少なかった」と、聞かされました。魚を届けてくれる人たちによれば、魚種によって豊漁と貧漁の差が極端に出た年、と聞かされています。
 

しめ縄作りに大勢の子どもを連れてきてもらえました。裏山の急な斜面でのウラジロ採りも上手にしていましたし、孫のように思っている3歳の子どもが、親や兄に倣って稲ワラに取り組んだときは、こうした行事の意義を痛感させられました。この間に、すだれ職人の網田さんは、庭の竹で酒器を作り、その1セットをくれました。

楽しい大晦日の晩餐でした。2種の餃子を余分に作ってもらい、妻は冷凍保存していました。このところ、庭仕事などで夕飯の用意が遅れたときに、餃子とビール、あるいはチーズクラッカーとワインで一息つくことを私が求めるようになったからです。

35年来変わらぬおせち料理。変わったことは、棒鱈の煮物やカズノコ漬けまで母に代わって妻が担当するようになったことです。おせち料理を2組の娘家族がとても気に入ってくれたおかげでしょうか、妻は早々と2日の朝に澄まし雑煮を用意してくれました。それが、3日と4日の白味噌雑煮をとりわけ美味しく感じさせました。白味噌は、毎年決まった人に贈ってもらいます。

はなびら餅も味わいました。還暦パーティの引き出物の1つで、2つきりでしたから3日の10時のお茶の時間に妻と味わいました。