時代錯誤
 

 この写真を学生に見せることがあります。左側の2機の飛行機と、右側の2機はどこが違うのか、と問うためです。見かけの裏に隠れている目に見えない本質に、つまり仕掛け、構想、意図、システム、あるいは罠などに要注意、と喚起するためです。

 戦前の日本の指導層は、その本質を敗戦後まで見抜けぬままに戦争を続けてしまい、あるいは見抜こうとする心を養わずに続けてしまい、兵士や銃後の民をいっそう惨めにしました。それはこの左右の飛行機の決定的違いを見抜けなかったせい、といって過言ではないでしょう。

 人のことはいえませんが、こうした上層部の怠慢が、兵士の命よりも飛行機や戦車のほうを大切にする風潮をはびこらせた、と見てよいでしょう。戦略上の失策を戦術で、あるいは戦術上の失策を戦闘で埋め合わさせようとしたら、大変な犠牲を強いるものです。

 この飛行機の本質的な違いは、戦闘上で大変な不利をパイロットや整備兵に強いました。たとえば、入り乱れた空中戦のあと、同じように被弾して帰還した飛行機が彼我ともに同数あったとすれば、そして翌日もそれらの飛行機で戦わざるを得ない場合、右の飛行機は多数が参戦できたのに、左の飛行機はほとんどを飛ばすわけにはゆかなかった。つまり、生産能力がはるかに劣る日本が、実働率が決定的に劣る飛行機や戦車でそれらの傷の付け合いともいうべき戦争を始めたものですから、始める前から帰趨はわかっていたわけです。
 
 右の飛行機は、すべて互換性のある部品で作られており、被弾した部分を取り替えやすく、良いところ取りをして組み立てなおせば戦線復帰させられた。日本の飛行機は設計図に従って1機1機、ヤスリやハンマーを駆使して作っていましたから、まるで腕や足を交換できない兵士のように、治癒に時間を要した。つまり、農業文化の手工芸的な発想のままに、工業文明を成熟させた国々に機械の消耗戦を挑んでしまった。

 タイミングも悪かった。先進工業国が植民地政策は手仕舞いすべき頃と考え始めていた時に、本格的な植民地政策を打ちだし、侵略行為をし始めた。

 要は時代も文化も読み間違い、国民を権力で戦争に駆り立てた。だから、非国民という言葉を作るなどして恐怖政治をしいたのでしょう。そうした無理のしわよせが、捕虜虐待や悪しき従軍慰安婦制度などにも結びつけたようですが、その裏に隠れている仕掛け、構想、意図や罠などを述べだすときりがないので控えます。

 要は「物量の差で負けた」と総括すれば、わかったようでわからない結果に、つまり責任の所在をあいまいにする結果に導きかねません。もっとも、物量の差は元からわかっていたわけですから、元より負ける戦を始めていた、といってよいわけです。

 今の日本は、この失策と似たような間違いを今も始めかけています。今は経済戦争ですが、日本のリーダーは、まるで手内職に精を出す女房の懐を当てにして見得を切る亭主のように、外に向けて大判振る舞いをしていますが、未来世代に重い負担を強いそうです。未来のほうから微笑みかけてくるような方向に走り出させないリーダーは困ったものです。

 「比べても詮無いけれどつい比べ」、深刻な問題です。