本屋さんに注文したとの知らせ
 

 週末の郵便物の中に、とてもうれしいハガキと関東版の新聞記事がありました。

 記事は、友が見た天神さんの市から始まっていましたが、次回は友にも、あの太鼓の音に出くわしてもらいたいものだ、と思いました。

 実は週はじめに、『京都嵐山エコトピアだより』の編集者からメールがあり、印刷所にデザイナーと駆けつける、と知らされました。色校正で不安な部分があったようで、3年がかりになった仕事の、最後の最後で失策を犯したくない、との意向でした。

 週末のハガキでは、本屋さんに予約を入れたと知らせてもらったわけですが、その頃は色校正も終え、輪転機が本格的に稼動している頃ですから、うれしくてたまりません。

 問題は、肝心の団塊の世代やその後輩たちに読んでもらえるのかなあ、との心配です。怪しげな年金を当てにするのは無用心ですし、リストラは企業もつらいのでしょうが、される社員はもっとつらいことでしょう。そうしたことが心配で、今、打っておくべき手を記しておきたくて、この本が生まれたといっても過言ではないからです。

 もう時効でしょうから記しますが、私が商社に在籍中に、つまり35年も前に、大手企業の中には余剰人員問題を俎上にあげていました。それは、年功賃金システムの弊害があらわになりなることが読めるようになったからです。終身雇用・年功賃金・企業内組合といったシステムの導入が裏目に出ることが見え始めていたわけです。私はこの問題を、拙著『このままでいいんですか』(平凡社1992)の中で、パタゴニア社の創業者の口を借りて記しています。

 余談ですが、社会保険庁も、これと根を同じくする戦略上の間違いを犯していますから、今の問題はそう簡単には解消できないでしょう。それだけに、生活のすべてを給与所得や年金にかける生き方は無防備すぎますし、心配でなりませんでした。仮に、年金に甘えられる立場で済むとしても、それに安堵して暇をもてあますような人生では惨めです。いわんや、不安に陥れられるのではたまりません。

 そこで、今ならそれに備えて打つことが出来る良い手があるとの思いが筆をとらせました。筆をとらなければ気がすまない、との思いに駆られたからです。

 私の場合は、親がもてあまし気味の土地があったからその手を打てました。自分で土地を買ってまで打っていたか、といえば疑問です。しかし、買わずに打ち始めたのが失敗でした。親から譲られる土地と油断したのが失敗でした。売り飛ばせば不労所得が転がり込む立場ですからうらやましがられますが、待ち続けようとする者には地獄と知ったのです。相続税の問題です。

 譲られる土地があったから打てた手が、だから精神的に得られた幸せが、とても高くついてしまったわけです。譲られる土地で打ったがために経済的に地獄に陥れられたわけです。この矛盾を知った者としては、この矛盾に悩まされずに済ませる手を紹介したくなって当然でしょう。つまり、経済的に余計な負担に悩ませられずに、精神的な幸せを手に入れる手があるとの紹介です。

 問題は、それが精神的な幸せなのかどうか、幸せと感じられるかどうか、です。ですから、何度にも分けて写真撮影にも応じて、目で見て判断してもらえるように私生活を裸にしました。

 余談の余談で、自慢話になりますが、私はバブルの崩壊を拙著『人と地球に優しい企業』(講談社1990)で、オランダで生じたチューリップ事件を例に引いて警告しました。今日のポスト消費社会の到来は、『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』(朝日新聞社1988)で予告しました。ホワイトカラーやブルーカラーが不要になる時代が到来する、との心準備のすすめです。

 その目で見ると、今なら打てる。自分のためにも子どもたちのためにも打っておくべきだ、と思われる手の紹介だけでなく、その理由や、打ち方や、そこで手に入れられる楽しさや安堵感を紹介したくなってしまったわけです。あと10日で私の手元にも届きます。