大見の集落には雪が残っていました@。舗装道路は除雪したようですA。実に美しい光景です。かつての委員会で顔見知りになった人の家の前を通り過ぎましたが、人気を感じたように思いました。やがて集落のはずれに達し、車から出て、徒歩でさらに奥まで踏み込むことにしました。
雪に足をとられないように気をつけながら川沿いBに300mほど歩きますと、かつて幾度か訪れた神社らしきものが木陰に見えてきました。でも様子が大きく異なっていました。かつて訪ねたときは神社の手前に、木造の建物があったのですが、すっかり崩れ落ちていたからです。鳥居も半ば朽ちていましたC。しかし、真新しく見える提灯が目に留まりました。鳥居の柱の間に綱をはり、ぶら下げていたと思われます。それはプラスチック製であったせいで腐らず、真新しく感じさせたのかもしれません。そこから20mあまり奥まったところに小さな社Dがありますが、その屋根には杉の枝が突き刺さっていました。枯れて落ちた枝でしょう。社にも提灯が飾られていました。
神社の境内には小川Eが流れており、社の手前を通るように曲がっています。その小川には細い橋がかかっていましたが、わたる気にはなりませんでした。その小川には、かつて見た通りにきれいな水が流れていました。せせらぎの音とはこれだろうと、と思いました。その音が余計に水を冷たそうに感じさせました。
帰路、ここも水田だったのだろうF、とか、あそこまで畑ではなかったか、などと語らいながら何箇所かで立ち止まりましたG。
それからが大変だったのです。
集落に入ったところにあった人気を感じた家、顔見知りの人の家まで300mほど引き返しました。残念ながらしっかりと戸締りされていました。スコップが放り出されていないかと探しましたが、見当たりません。そこからさらに100mほどももどったところに廃校があり、京都市の持ち物です。そこまで足を延ばしましたが、道具類は一切見当たりません。
これ以上手間取ってしまい、日が落ちてしまえば万事休す、と考えました。不慣れな夜道ですから人里まで1時間ではたどり着けるかどうか分かりません。すでに5時近くになっていました。そこで、最後の踏ん張りをする前に、これでだめなら歩いて救援を求めに行きましょう、と話し合いました。
スコップさえあればと思いながら杉の葉を敷いたり、雪を除いて板を挟み込んだり、車の足元にしいてある敷物を持ち出して用いたりしてみましたが、ことごとくむなしい努力でした。前輪駆動の車が空回りするばかりです。
やむなくもと再度来た道を歩み始め、集落の中ほどまで戻ったときに、向かいから1人の男性が近づいてくるではありませんか。地獄に仏とはこのことです。聴くと、村人ではなく、半時間ばかり離れたところにある修道院に1人で住んでおり、散歩でやってきたとのこと。
その人に従って、再び自動車がある方向にとって返しながら、おじいさんが住んでいるはず、とかおばあさんがまだ留まっているに違いない、という家を覗きましたが、頑丈に戸締りがしてありました。
結局、3人が掛け声のもとに力を合わせて押し上げることにしました。2人が押し役にまわると、車は動きそうに思われました。2人で努力していたときは、車を道に押し上げるだけでなく、方向を反転させる方向に上げようとしていました。その人は、とにかく車を道に押し上げることに集中し、反転は2の次にしました。
板や敷物もかましながら、2度3度と半時間近く努力をした結果、とにかく車を押し上げられました。そこから村の中ほどにある三叉路までバックでもどり、そこでその人と別れました。
かつて修道院では10人ほどが住んでいたが、今は1人、しかしまもなく結婚するから2人になる、とのことでした。やっとのことで、村尾さんというところまで聞き出して別れました。帰路、ここが村尾さんの暮らしている修道院に通じる分かれ道に違いない、と思われるところで車をとめましたH。であった集落から修道院まで徒歩で30分とのことでしたから、その伝で言えば、徒歩で桃井という人里にたどり着くにも1時間は、バスが来ている大原までならゆうに3時間も歩かなければならなかったようです。車で京都市内まで1時間、鞍馬神社まで半時間のところに大見がありました。
大見は平家の落人伝説があります。かつては、奈良二月堂のお水取りのときの松明の種火は、大見から届けていたと聞かされています。
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