わが若かりし頃
 

 学生になった年の夏休みの思い出と、社会人として血気盛んな頃の思い出を振り返りました。前者は、ある幸運が一人の男と引き合わせ、その忘れえぬ今は亡き恩人との間で体験した思い出です。後者は、今も時々交信している上司との間での思い出です。

 前者の東京の自宅に、夏休みに招かれました。その人は鉱山主でしたが、逗留中に突発事態が生じました。黄銅鉱が出なくなったとの連絡です。山形県の面白山まで飛んでゆくことになりました。私はついてゆき、にわか 鉱夫になったのです。

 四方八方、上下左右に坑道がうがたれていました。立体感覚にチョッと自信があった私は、その自信を生かして鉱脈を推定しました。そして、掘る段になると率先してツルハシを握ったりしました。後者のほうは、早朝出勤がもたらせた幸運です。

 この2つに共通していることは、今から思えば、自分の甲斐性で出来ることで何とかして感謝の気持ちを表したかったのです。それが力任せの労働に進んで取り組んだり、若さを活かして上司の目や耳、あるいは足になったりしようとしたのでしょう。とにかく若い力を活かすことで喜んでもらいたかったのでしょう。