じぐじたる心境
 

 このたびの「鞆の浦の判決」は画期的で、美意識への目覚めが勝利させたのでしょう。こうした意識がもう少し早く国民的合意に至っておれば、今頃日本の観光収支は入超になっていたに違いありません。そうと信じながら、私は私事と誤解されるのを気兼ねして手をこまね、不法建築物を撤去させず、景観を台無しにする一翼に与してきたのです。

 不法まで許して景観を台無しにさせたり、台無しにする心を許したりしてきた私のような民が京都に来る海外からの観光客を他国の歴史的都市のように延ばさせていない原因でしょう。その一因に与してきた私は、「鞆の浦の判決」をじぐじたる思いで聴いたわけです。

 先に述べた当不法建築物は今もそのままであるだけでなく、それが原因で、かつてはおとぎの国の池のように美しかった池を、ドブのようにさせたままになっています。

 池の水の涵養地は、袋露地でした。その袋地をただ同然で買った人が池の一部を埋めて道を作り、セメントで沼を固めて家を建て、住み着きました。流れ込んでくる山水を配水管で捨て去り、それを湿気抜きの工夫としました。清水が入らなくなった池は汚れるにまかされました。

 この無法を許した原因は、この池の持主が登記簿上で、今は存在しない明治時代の村の名前になっていたことです。そこを突かれました。もちろん当時、この不法建築を問題にしました。そして、池の所有者が京都市と判明すれば「でてゆきます」と当不法建築物の戸主である夫が、当時の当地の自治会役員の前で断言しました。そこで裁判になりました。結果、この池は京都市のものとの判断が出ましたが、今日まで出て行かずに住み着いています。

 しかも、その妻が、不法に埋め立てた道を「うちが作ったうちの道です」と第三者に主張して、笑われたりしています。

 京都や日本の品位を重んじるのか、私事のもめごとと思われるのを恐れたり、ひつこいと誤解されたりするのを恐れたりして放置したままにするのか。

 「鞆の浦の判決」のような判断が出来る国になるにしたがって、じぐじたる思いは深まりそうです。あろうことか、このお宅はわが家の裏隣です。