元気付けのスピーチ
 

 ニコルさんは講演の中で、次のようなエピソードを挟みました。イギリスのホテルなどで「東京から来た」といっても、ロンドンなどの都会に住む人と同様に尊重されない。「田舎もの」に相当する「カントリーマンだといえば、部屋をワンランクアップしてもらえた」との体験談です。それは、「郊外で土地を守っている人に対する敬意だ」との意見を添えられて後、かつてはロンドンなどの都会に住む人には選挙権がなく、土地を守るカントリーマンが保有していた、と続けられました。

 この体験談に対して私は目くじらを立てるつもりはありません。むしろその意見には喝采を送りたいし、そうあってほしいと願っています。また、ニコルさんがロンドンなどのホテルで「私はカントリーマンだ」といえば、その風貌などから推し量り、地方に土地や屋敷を持つ「カントリージェントルマン」に違いないと理解し、ワンランクアップの部屋を与えるに違いない、と思います。とはいえ、カントリーマンという言葉は「タゴサク」とでもいった軽蔑用語としてしばしば用いられるのも事実です。

 イギリスでの選挙権に関して言えば、かつてはハウスホールダー(住んでいる家自体は借家でもよいが、戸主であること)である上に、納税に応じている人に与えられていました。その後、1870年代に一定の年齢に達した男子全員に与えられるようになっています。女性に関していえば、20世紀には入っても、選挙権獲得闘争が繰り広げられていました。

 土地の保有と選挙権に関して言えば、ロンドンなどの土地は、教会、王族、貴族などが保有しており、いわば公共の土地であり、個人が勝手にできる私有地はなかった。つまり選挙権と土地所有の間にはなんら相関関係はないはずです。

 以上は、アイトワ塾にお招きしたことがあるイギリス史に詳しい京大の教授から教わったものですが、 私が誤解や曲解をしている恐れもありかねませんのでその名は伏せます。この元気付けの意見や期待に私が賛成するのは、以下のようなわけがあるからです。わが国では国政選挙のたびに「1票の重さ」が問題になり、その問題意識に疑問を感じてきたからです。仮に、都会人の1票と、人口減少傾向にある田舎の人の1票を同等にしたら、自然破壊は加速度的に進むのではないか、との心配です。それは、地球上からすべての都会がなくなったら、たちまちにして多くの環境問題は解消するであろう、と言えそうな現実があるからです。あるいは、都会に住まいがちな科学者、教育者、あるいはデザイナーなどが多い国ほど環境破壊を進めてきた、という実情が示しています。