恩返し
 

 こまごました年末の作業の間に、陶製のミミズクの補修と道標の補修というめんどうな作業を挟み込みました。それにはわけがありました。恩返しです。

陶製のミミズクの補修
 今の私があるのは、敗戦をはさんだ1年間に出会った恩人のおかげです。5歳の晩夏から6歳の晩夏にかけて、忘れえない数人の恩人に出会っていなければ、私の生は違っいたでしょう。

 それは、日本が敗戦を契機にして農業文明から工業文明へと転換する直前のことでした。おかげで、その後の私は、工業社会の波にどっぷりとつかりながら、常に冷ややかな目で自分を振り返ることができました。村に住んでいた他のすべての子どもは都会に出ましたが、恩人たちと慣れ親しんだ私は留まっています。60本のヘビースモーカーとすっぱり決別できました。そうした影響を与えた大人・恩人の真似をしたかったのです。

 今の私たちは、次の文明に転換することが求められています。60年前の農業文明から工業文明への転換どころの騒ぎではない転換です。工業文明は農業文明の延長線上にありましたが、次の文明は工業文明の延長線上にはありえません

 その予兆は、ついこの間まで「1億総中流」といっていたわが国が、工業文明国の中では1番高率で貧困層が存在する国、あるいは自殺者が多い国になる現象にも見て取れそうです。そう私は見ていますから、そうならないように、私にも出来る方法でたとえ一隅であれ照らしたいのです。それが恩人への恩返しだと思うのです。

 その一貫として、陶製のミミズクの補修と道標の補修というめんどうな作業に手をつけました。ミミズクは、20数年来補修に手をつけてきませんでしたし、道標の補修も1日延ばしになっていました。しかし、今年は注連縄作りに、子どもが大勢参加すると知り、手をつけました。

 案の定、次々と到着した子どもたちは金太と遊び始めました。子どもは、なれなれしく犬を扱う大人のまねをしたがるものです。もちろんそれは、子どもを喜ばせますが、私は手放しで賛同できません。危険性と不健全性も感じます。犬とはそうしたものだと子どもに思いませかねませんし、犬の中にはありがた迷惑に思うのもいることでしょう。ですから私はたしなめました。「3回まわってワン」などと命じるようなことをしたら、私は君たちに「3回まわってワン」をさせるよ、とたしなめました。

 同時に、子どもたちを、補修中のミミズクと道標のそばに誘い、それらに注目させました。そして、「君たちも、怪我をしたからとか、病気をしたからといって捨てられたくないでしょう」と訴えました。

 それがどうした、といいたい人が多いと思います。たかが口先だけの戯言ではないか、と言われそうです。でも、私はこうしたヒントを恩人から与えられ、生きる気概や勇気、あるいは希望を授けられたように感じています。私も、恩人の真似事ができそうな年頃になったわけです。