道中の会話
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なぜか調査捕鯨問題や、沖縄の米軍基地問題にまで話題が広がりました。なにせ雪がちらつき始めた3時間余の道中です。それは日露戦争のころの八甲田の山並みを雪中に踏破する行軍の話がきっかけでした。数十年に1度といわれる零下20度以下になり、200人近い軍人を行き倒れのごとく死なせた事件ですが、その原因に話を深めてしまったせいです。 指揮官を命じておきながら、同行した上官が口を挟み、指揮系統を乱したことが原因でしょう。他方、反対側から八甲田の踏破を試みた30名ほどの軍人は、全員無事に目的地にたどり着きました。それは、少人数の方の指揮官が優れた才能を発揮できたからでしょう。 それは人間の生かし方、個性の、得手の、あるいは立場の生かし方に優れていたからではないでしょうか。その1つは、「行軍した歩数を確認させた配下」の選び方です。私はサラリーマン時代に、この事例に学び、幾度となくわが家から最寄の駅までの歩数を数え始めています。わずか30分足らずの道のりなのに、ついに果せていません。途中で、当時担当していたプロジェクトの問題点を考え始めたり、上司への言い訳を気にしたり、雪景色に見とれたりしたせいです。こんな人は、この役目には不的確です。 もう1つは、難所の道案内を「赤子を抱えた母親」に頼んだことでしょう。難所の出口にまで一刻も早く案内し終え、一刻も早く赤子の元に生還しようとするのが人情と読んだようです。 ここまで話したところで、余分な話を思い出しました。それは開拓時代のアメリカで事例です。西部探索を命じられた騎兵隊は、派遣隊を編成します。その指揮官も子どもを背負った女性を道案内役に選んでおり、みごと西海岸に到達しています。 さらに、人種差別が盛んであった時代のアメリカで生じた事件まで思い出しました。それは、ローザ・パークスという女性が起こしたバスボイコット事件です。彼女の毅然たる行動がはやがてキング牧師を動かし、公民権運動に決定的な影響を及ぼすにいたっています。 言いたかったことは、「アメリカはすごい一面を持った国だよ」ということです。アメリカはクリントン大統領時代に、国家から国民に贈られる最高位の勲章「アメリカ議会金メダル」をローザ・パークスに贈っています。日本にたとえて言えば、大勲位菊花頚飾を『橋のない川』の著作者・住井すゑに授与したようなものです。また、同じころにアメリカは、新1ドル硬貨を鋳造しましたが、そのデザインに騎兵隊を西海岸まで案内した子持ちの女性を選んでいます。こうしたことは、ブッシュ時代には生じようはずがありません。 この話題は、沖縄の米軍基地問題にまで広げました。ブッシュ時代のアメリカと小泉時代の日本が交わした約束を、鳩山時代の日本とオバマ時代のアメリカがどのように位置づけるかの問題です。オバマ大統領は、アメリカのすごい一面が顕在化したものではないでしょうか。ローザ・パークスに勲章を授与したり、硬貨のデザインに先住民母子を選んだりしたときにアメリカ人が送った喝采がその予告編であったに違いありません。 オバマ大統領は、イラクから撤収を決めましたが、アフガニスタンからも撤収すべきであったと私は思います。それはともかく、政権やトップが替わるということは、そういう決断をし直すチャンスではないでしょうか。にもかかわらず、国家間の約束を守るべきだと不利な立場に立たされている方から囃したてたら、双方にそこで思考停止する人を増やしかねません。 なんとしても日本は、よきアメリカとよき関係を結ぶべきです。それだけに、小泉時代の日本がアメリカの要請に沿い、自衛隊の海外派兵まで行ったことを考え直すべきです。それは日米安保条約の是非を問うた60年安保や70年安保の時代では、少なくとも国民は想定していなかったはずです。自民党政権は、核兵器の持込問題でも国民を裏切り続けました。それは時代の要請であったと考えるなら、沖縄の米軍基地問題でも時代の要請をもう少し尊重すべきだと思います。 そうせずに、つまり総選挙で大敗北させられた前政権が、圧勝した現政権のマニフェストを無視して、アメリカの前政権と取り交わした約束を金科玉条のように振る舞うのはどうか、と思います。それはアメリカに、日本の世論が真っ二つ割れているかのような印象を与え、悪しきアメリカの声を、ブッシュのごとくに増幅させかねません。それは民主党のマニフェストに圧倒的勝利を収めさせた日本国民の意向に反するだけでなく、アメリカのためにもならない判断を下させかねない恐れがあります。それが人情でしょう。 小は、慣れ親しんだ勤務地を変えたくないという理由だけで、沖縄の人たちの心を踏みにじっていることを忘れさせかねません。既成の利権にまみれている人もいることでしょう。 アメリカは誤った判断を下しかねない国です。ベトナムでもイラクでも、助けに入ったつもりかもしれませんが、テロの温床にするなど、恨みを買う役割を演じています。そうした役割を演じないように説得するのが、真の友好国ではないでしょうか。少なくとも、もっと意見交換を深めるために、タップリと時間的猶予を設けられるようにでかしよい国であるからです。その傾向は捕鯨問題に如実に現れているように思います。私も調査捕鯨は大切だと思います。それだけに日本が行っていることが残念でなりません。 それに命がけで反対する人に「暴力はいけない」と叫んしてしまえば、しかも調査捕鯨であると主張し続けたのでは、そこで思考停止しかねません。その命をかけている人々は、大勢の人々の義捐金で成り立つ草の根運動に支えられていることに注目すべきです。 生態系を守るために、人類の幸せのために必要な調査捕鯨だといいたいなら、誤解されかねないことは避けるべきです。それは鯨肉の扱いです。捨てるのはもったいない、と思います。だからといって鯨肉をビジネスの対象にしたり、日本国民が食ったりしてはいけません。 缶詰などにして飢餓状態にある貧しい国の国民に無償提供してはどうでしょうか。そうすれば2重の高い評価を得るに違いありません。人類のための調査捕鯨だからといって、日本は鯨肉を無駄にするような国民ではない。「それが鯨に対する供養」と考える国民だ、との評価を手にするのではないでしょうか。調査捕鯨を隠れ蓑にしている卑しい国民、といった誤解を与えずに済むのではないでしょうか。 もちろん、アイヌの人たちなどが古式ゆかしき方法で捕鯨し、その鯨肉などを古式ゆかしき方法で配分し、古式ゆかしき食べ方をすることは文化の伝承であり、異議を挟む人などいないでしょう。 ちなみに、雪中の八甲田踏破の話の続きですが、成功した30名近くの軍人は、2年後の日露戦争で全員が戦死する立場に追い込まれています。 |
新1ドル硬貨 |