年寄りの冷や水
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時々妻に「年寄りの冷や水」にならないようにと促されます。この一言を聞いた最初は、朝の洗面時でした。パンツ1枚になって、真冬に首や腕まで洗っていたときのことです。ですから、「風邪を引いても知りませんよ」ていどに受け止めていました。 このたびの樫の剪定は、取りかかるかどうかでずいぶん思案しました。これこそ身の軽い学生に頼むべきか、あるいはプロに頼むべきか、と思案したわけです。きっと学生に頼めば、喜んで取り組んでくれるでしょう。やや乱暴な作業の方を、学生は歓迎し、やりがいを感じてくれます。しかし、木の特性や高い梯子を用いる場合の注意事項を体得していない人には危険です。 結局自分の手で、好きなようにモクモクと取り組むことにしたのです。その過程だけでなく、出来上がったときの喜びも求めることにしたのです。とりわけ、最期にエンジンソーを用いるときにそう願いました。ところが、予想以上に幹は重かったようで、バリバリバリ、ドスンと大きな音を立てて落ち増したからビックリしました。 ヤレヤレとの気分で木の上につかまっていたときに、妻が「大丈夫ですか」と叫びながら飛び出してきて、私の姿を見上げながら「年寄りの冷や水」にならないようにしてください、と注意を促しました。そこで、「7回目の年男になったときも、試みよう」といって叱られました。 その夜、この言葉を辞書で引いてみますと、「老人に不相応な、危ないことや差し出た振る舞いをすることのたとえ」とあり、その下に「老いの木登り」と付け加えられていました。 切り落とした木は、やむなく小さく切り分けて運んでいます |
切り落とした木は、やむなく小さく切り分けて運んでいます |