C考え込まされたこと
 

 銀座に着いてみると9時半で、松屋が開店するまでに半時間もありました。「そうだ、ワールドタウンを覗こう」と4丁目に向かって歩みました。ワールド社に勤めていた時代、時代はすでにバブル時代に入っていた頃に関わったタワービルです。

 地主のコックドールの社長と幾度も膝を交えて相談し、ギリギリの理屈を考えだして合法化し、計画通りの日程「こけら落とし」をしたものです。1〜2階はワールド直営の専門店が、最上階はコックドール直営のレストランが用いるファッションビルでした。屋上には飛び抜けて大きなワールド社の電飾の社章を掲げました。

 すでにコックドールもワールド社の直営店も退店しており、屋上の巨大な社章も消えてなくなっていました。しかし、ワールドタウンというビル名と、ビルの1階にある通り抜けの通路のワールド社にちなんだ通りの名称は残っており、ニンマリしました。

 神戸のポートアイランドにある全天候型のドームビルの名称を思い出したからです。このビルは、ワールド社に入社させてもらった年が誕生のきっかけです。ワールド社が20周年記念に神戸市に20億円を寄付し、それを基金にして建設された記念ビルです。巨額の寄付に伴う消費者のブーイング(寄付する前に、価格を抑えるべきではないかなど)はもとより、税制上の問題(納税をした後の金で寄付せよ)などさまざまなクリーアーすべき課題がありました。

 社長室長として私も関わりました。主に、消費者のブーイングや取引先小売店からの苦言を好感に変える仕事と、このビルの名称決定を左右する市との折衝を買ってでました。ビルの名称に、この建物がある限りワールドの名前を残したかったのです。私が辞めた後だけでなく、ワールド社が消えてなくなった後も、残って欲しかったのです。

 もちろんまだワールド社は健在です。しかし生き物はいつどうなるかわかりません。

 その健在ぶりを神戸や近畿圏だけでなく、日本中に知らしめたくて銀座にそのシンボとなるタワービルを誕生させたわけですが、そのシンボルはすでにありません。ただし影も形も残っていないわけではありません。名称に名残を残せています。

 ドームビルの名称について、市は当然社名を取り除くことを求めました。基金は全建設費の2割程度に過ぎず、他は税収ですから当然でしょう。そこをどう説得するか、数度ならぬ折衝を重ねました。決め手は、ワールドという言葉が造語ではなく、認知度の高い普通名詞に過ぎない点を強調しました。いわば他人のフンドシを拝借するような名称であったことです。

 次いで、社名を掲げる銘板の設置を迫りました。その決め手の1つは20億円の寄付がきっかけになった事実です。

 なぜ私は名称や銘板にこだわったのか。それは、その寄付金に何ら私が貢献していなかっからです。入社前年の利益から出した20億円でした。この利益に関わった人が少なからず退社していましたし、次々退社するに違いありません。その人たちの気持ちに応えたかったのです。なにせ深夜まで残業が続き、残業時間を計算しないシステムを採用していた会社でした。

 こんなことを思い出しながらタワービルを後にしました。通りの向かいにはユニクロが店舗を構えていました。その昔は何があったのか思い出せませんでした。そう思って目を転ずると鳩居堂のビルが目に入りました。バブルの時代には、このビルが建つ地価が良く話題になったものです。報道はその高騰をうらやむ論調でしたが、社長が自殺されたのです。それは日本を一段と駄目な国にしはじめたことを象徴する出来事、と私は捉えましたからよく覚えています。

 土地を商品のごとく捉え、売買の対象として一儲けすることを考える人にとって高騰はありがたいことでしょう。ただし、慈しむ人にとっては、保持し続けようとする人にとっては溜まったものではありません。納税額だけ増えるのですから。もちろん土地を高値で売って大儲けした人も、日本の地価をつり上げ、代替地や家賃を釣り上げることになり、やがては自分も苦しめることになります。ほくそ笑むのは税収の増大を喜ぶ人たちだけです。