小泉論法
 

 管さん(現民主党副首相)が道義的責任をとった問題で、小泉さん(当時の首相、自民党総裁)は「法律に違反していません」といって白を切りとおし(国民を裏切り続けていた行為の)責任をとりませんでした。本来は、そのような事態を生じないようにするための法律を整備しておくべき総責任者です。その人が、つまり法の不整備を一番良く知りうる立場の人が、国民が気づけないのを良い事に、法整備を怠り、私服を肥やしていたわけです。

 同様の論法で、アメリカの要請に従って海外派兵まで強行しました。安全地帯とは「自衛隊が行く処です」と煙に巻いたり、派兵の前提であった大量破壊兵器はなかったとアメリカが断定しても「見つけられなかったからといってないとはいえない」といった屁理屈をこね回したりしました。逆に、窮地にあるイラク国民救済のボランティア活動に携わっていた女性が人質にされると、国家としての救済を優先せず、自己責任論をぶちあげていました。

 残念に思ったことは、国民の中にも、この小泉論法に同調する人が大勢いたことです。それは、接時中の熱気を思い出させました。軍事行動の邪魔になるといって多くの人が国家に押さえつけられ、同胞国民から突き上げられていました。カラやコトが

 こうした風潮が、JR西日本ではもっと巧妙なやりかたでまかり通っているかのように思われます。本来なら、巨大企業として、倫理観や道徳観の模範を示して欲しいところですが、逆に金儲けのためなら何でもしかねない組織に成り下がりつつあるように見受けられます。

 それは、従業員を縛る部分では精緻この上ない社内ルールを決めておきながら、自分たちを律する社内ルールを曖昧にしておき、多数の乗客を危機にさらしてもなお、その不備を理由に白を切ろうとする姿勢が垣間見られることです。それが、信楽鉄道事件ですまずに、JR宝塚線脱線事故にまで結びつけてしまい、堪忍袋の緒を切らす人を増やしてしまったのではないでしょうか。

 話しが大げさになりましたが、要は、国や組織のトップが、責任転嫁意識を容認する罪の重さや、模範を示さずに済ませようとする不作為の卑劣さを許せないと人が、次第に声を大きくし始めているのではないか、といいたいのです。

 軍隊の保持や海外派兵を公認しているイギリスでさえ、イラク派兵を決めた前首相の糾弾を始めました。それが愛国心や民度の向上の厳選であるからではないでしょうか。

 余談ですが、イラク問題で言えば、自衛隊派兵やイラク国民に危害を加える軍艦などへの給油で随分国税を投入しましたが、そのお金で世界をうならせることが、つまり日本に対する敬意を高めさせることが簡単にできていたはず、と指摘したく思います。

 つまり、平和活動のボランティアをつのって派遣し、戦争に巻き込まれたイラク国民を救うために必要な資材(医療機器や医薬品、食糧や仮設住居など)に戦費相当の資金を回すことです。日本では、こうしたボランティアの平和活動に応じる若者が増えているに違いない、と私は見ています。こうした場合にこそ、自己責任問題を云々すべきではないでしょうか。