人災だ
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鶏インフルエンザ事件は京都府から始まりました。その折に、不眠不休で大量の鶏の処分に関わったという府職員と出会う機会があり、ねぎらっています。このくだりは当週記でも触れたように記憶しています。 生き埋めにした鶏の中に、「ピンピンしていたのがいませんでしたか」と、私が質したときのことです。その人はハラハラと涙をこぼしました。鶏インフルエンザに感染しているとは思えない鶏まで一緒に、すべてを殺してしてしまったというのです。 野鳥であれば、鶏インフルエンザウイルスに感染したものは死に、打ち勝ったものは生き残ります。いってみれば、野鳥と鶏インフルエンザウイルスは優性遺伝を繰り返しながら切磋琢磨しているわけです。ところが、人間は家畜化した鶏に、人間の勝手で優性な鶏まで殺してしまい、切磋琢磨してより強くなる機会を与えていないわけです。 これは、次第に悲劇を大きくしかねないシナリオです。人間と関わった鶏にとっての悲劇を大きくするだけでなく、人間をより悲劇的なパニック状態に陥れかねないシナリオです。 このたびの牛で生じた悲劇は、その第一幕だと断言してよいでしょう。 ここらあたりで、大資本を要する大量飼育方式から脱却し、優性遺伝の道を残す飼育方式に切り替えることが望まれます。 そのまえに、自然の摂理を尊重し、自然の摂理に精通していることをリーダーの資格にする社会にすることが望まれるように思います。 それはどうしてか、それはまた悲劇の第二幕が開いたときにでも触れたく思います。 |