幼児期を彷彿
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トルコ旅行の3日目、Vanという街でトイレ休憩しました。その折に、Vanのシンボルを知りました。それは白猫ですが,ただの白猫ではなく、左右の目の色が異なり、いわば金の目と銀の目といってよいのです。その猫を見て、瞬時に「このネコだった」と幼児期の遊園地での思い出を振り返っています。 父はしばしばわたしを阪神パークに連れていったそうです。また、父は私が満3歳になった直後に発病し,その後8年間も闘病生活しています。ですから、このネコを私が見たのは満3歳になる直前の阪神パークでのことであったと断定してよいでしょう。 このたびの旅行から帰宅し、まず手をつけた仕事はある一文の最終校正でした。それは、幼児期の1年間の体験を正確に書き留める必要があった文章でした。この最終校正に取り組みながら、他の記憶も手繰り寄せたくなったのです。 結局、明確に思い出せたのは、Van猫の他は8つにとどまりました。それはキリン、錦鯉、鶏、金魚、スイカ、ヘビ、飛行機の墜落、そして水色ののっぺりした山の8つです。その内の2つ、キリンと錦鯉も阪神パークがらみであろうと思います。 そのキリンは骨格と血管だけ残し、他はすべて溶かし去っていたようです。とても恐怖を覚えたわたしは、父から「好き嫌いをせず、何でも食べないといないこのキリンのようになる」とでも言い聞かされ、おおいに泣きじゃくった記憶がよみがえりました。 錦鯉は、通路の両側面だけでなく、天井部もガラス越しに悠然と泳ぐ姿を見られるようにした施設でした。今から70年近く前に、阪神パークはそうした施設を併設していたのでしょう。 鶏は、裏庭で飼っていた数羽の白色レグホンです。イタチに襲われたとかで、一晩ですべて殺され、小屋のそこかしこで倒れていました。その後わたしは長い間、イタチは血を吸い取る空恐ろしい動物だと思い込んでいました。 金魚は父が飼っていたランチュウだと後年母から教えられました。2階に廻廊下があり、その角に金魚鉢がありました。その金魚を手掴みし、階下の庭に放り捨てた思い出です。母に叱られ、恐る恐る父の帰宅を待ちましたが、叱られた思い出はありません。 以上4つの思い出は、父が絡んでいますから満3歳以前の思い出、ということになります。その他で、それ以前と断定できるのはスイカのみです。わたしは腎臓を患い、利尿のために父にスイカの絞り汁をしばしば飲ませてもらったそうですが、そのスイカでしょう。土間にスイカがゴロゴロ転がっていた記憶です。 ヘビと飛行機の墜落は、満6歳以前としか言えません。ヘビは、大勢の人が大騒ぎをしており、誰かが棒切れで殺し、その先にぶら下げ、川に捨てた記憶です。そのヘビが半ば水に濡れていながら、裏返しで落ちたまま動かなかったのがとても心配でした。 飛行機の墜落は、それまで毎日見上げていた双発の飛行機が、ある日のこと、煙を吐いていました。そして遠方で墜落したのです。その折に、一緒に目撃していた人は、私を除いてすべて煙の方向に走り出しています。私はその時に、「幼いから無理」という相対的判断ではなく、「私には無理」との絶対的判断を下し、悔しい思いで家に帰ったことを思い出しました。 水色ののっぺりした山は、満6歳直前のことです。満6歳になる直前に京都に疎開していますが、その道中で山を見た時の思い出です。それまでは山とは水色ののっぺりしたものと思い込んでいたのに、木が生えていました。ついに、赤松の幹まで見えるようになり、とても驚いています。 |