妻は考えています
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死んだウリボウに関して、妻には話していないことがあります。妻には到底考えられないことですし、また考えて欲しくないことですから。 私も当初は、妻と同様に、食の細い方が、妻が見つけたところまでたどり着いて死んだもの、と考えていました。妻は今も、そうであるに違いない、と思い込んでいます。しかし私は、週記を記している間に、「待てよ」との思いが頭をよぎったのです。 イノシシはとても嗅覚が優れています。その嗅覚を頼りにして私たちの跡を追ったとすれば、疑問を感じざるを得ないことがあります。裏門を目指してわが家の生垣沿いに歩み、裏門の鉄柵の隙間を通って庭に入り込んだことになります。その後、私たちが歩んだ障害物がない砂利敷きのパーキングではなく、どうして私たちの匂いがあっても弱く、障害物の多い茂みの中にわざわざ入ったのか、との疑問です。 その疑問を追ってゆけば、自ずと一つの情景が瞼に浮かびます。死んで倒れていたウリボウを誰かが見つけ。そこからポイッとわが家の生垣越しに投げ込む姿です。わたし達は、誰かが投げ込んだと思われる地点を、ウリボウを抱いて歩んでいます。 もし瞼に浮かんだ情景どおりであったとすれば、投げ込んだ人は情のない人です。いたいけないウリボウの死体を、まるでゴミ扱いです。せめて、そっと生垣の裾にでも置いておいてやって欲しかった。 ひょっとすれば、そこをしょっちゅう通る人で、自然の摂理に疎い人が、腐臭が漂うのを恐れて投げ捨てたのかもしれません。生垣の裾にでも置いておいても、小さなウリボウでしたから、アリなどが1週間をまたずに綺麗に片付けていたことでしょう。 |