一週間の意義
 

 それは木曜日の夜のことでした。ぼつぼつやすもうか、と枕元の電灯を消したときに、当たり前といえばあまりにも当たり前のことに気付かされたのです。前日、大きな水槽を移動させていたときに見たトカゲを思い出したのがきっかけです。

 水曜日は午後から好天でした。それをいいことに、大きな水槽を移動させたのです。バケツに10杯分ほどの水をかい出したり、バケツに2杯分ほどの泥をかき出したりしなければなりませんから、水温が十分暖かくなる時期を待っていたのです。

 その最中に、気配で大きなトカゲを感じました。水槽は温室の出入口近くの内側にありますが、出入口の外側にある踏み石の上に、日向ぼっこでもするかのようにして現れたのです。私は急いでそばに置いてあったカメラに手を伸ばしました。

 なんとしてもトカゲの姿をカメラに収めたいと願い、数10センチも離れたところで最初のシャッターを切り、10cm程ずつ近づけながらシャッターを次々と切りまいた。トカゲは用心深くて敏捷ですから、これまでに近距離からまともに写真に収めたことがありません。

 20cmほどに近づいた時のことです。一匹の多足の昆虫がはい出してきたのです。あっという間の出来事でした。トカゲはパクっとその虫にかぶりつき、むしゃくしゃと食べてしまったのです。一瞬にしてトカゲが温室にたくさん棲み着いている訳を理解しました。それまではイタチやヘビなど天敵に狙われにくいから、と思っていたのですが、餌が多かったのです。

 前日の火曜日にはモリアオガエルを見かけています。おかげで、それまで長年にわたって聞き慣れてきた蛙の声と、その声の主の関係を特定できたのです。過日は、ウリボウを捕まえました。

 こうしたことが次々と思い出されました。その時に、なぜか前月のトルコの旅も思い出したのです。その旅を懐かしんだのではなく、その逆でした。トルコを巡っていた間に、庭ではどのようなドラマが演じられていたのか、と考えてしまったのです。

 それらは二者択一の関係です。どちらかしか眼にすることが出来ません。そこでじっくりと考えました。トルコを選んでいなければ、まだ訪れたことがない南米とかオーストラリアであったかもしれません。その選択の途は無限に近いと言ってよいでしょう。

 そこでふと考えたのです。もし、「自分らしさ」というものが大切だとすれば、未踏の地を、いわんや未踏の観光地を駆け足で巡り、分かったような気分になっていていいものか。それは根なし草のようにしているだけではないか。それよりも、庭で生じるさまざまな出来事をじっくりと眺め、脳だけでなく身体のシワも増やしてゆく方が、ずっと価値があるのではないか。

 何故か私は、不思議なことを妻に語りかけました。それは妻が、3日とか1週間とか家を空け、都会で過ごして帰ってきたときの歓声を思い出したからかもしれません。都会でホテルと、たとえば展示会場などを往復している限り、「何の変化もない」と言えそうです。他方庭は違います。庭にある植物は、数日も見ていない間に、すっかり様子を変えているのです。

 「海外旅行など思いもよらない時代に生まれていたほうが、あるいは貧しい時代に、田舎に生まれ生きんがために日々気ぜわしく暮らしに追われていたほうが、よほど穏やかで幸せな気持ちにしてくれたのではないだろうか」と語りかけたのです。当時は,わが家と同様に、自然豊かな生活であったことでしょう。自然は、2度と同じことを繰り返しませんし、2つと同じものを創りません。興味を抱き始めたら,片時も目を離せません。もちろん人間も、2人として同じ人はいません。そうした世界で、2つと同じものがないものどうしが日々を生き抜くために、たとえば飯を炊く木切れを拾い集め、雨が降る前に拾っておけばよかったなどと悩んでいる方が、穏やかで幸せではなかったか。

 「当たり前でしょう」と妻は言わんばかりに、相手にしてくれず、寝息を立ててしまいました。

 私はしばらく眠れませんでした。「そうした時代は、誰しもがお袋の味を」と考えたり、はたまたメキシコ湾の原油流出事故に思いを馳せたりしてしまったのです。そして、「私の決めた幸せのバロメーターはまんざら、ではなかったな」と思ったり、「私なら」と考えたりしているうちに眠りこけてしまいました。

 私なら、大型空母を活かしていたことでしょう。艦の中のものをすっかり取り去り、底に大きな穴を空けてひっくり返し、巨大な漏斗のようなものに改造する。もちろん原油を吹き出しているパイプの上に被せるわけです。その漏斗の口から先は、正常に原油を汲み出すために用意している装置が生かせるはずです。水より重い艦と、軽い原油の性質を活かします。

 翌日は、気ぜわしく鳴くコジュケイの声を聞きながら、新たな気持でハクモムレンの種房拾いをしています。どのくらい花を咲かせていたのかを知りたくなったのです。

 「なんと」と思うところに突き刺さっていた種房もありました。おおよその数を調べるために知恵を絞リ、ビックリしました。このたび拾った数は824個とはじき出されました。拾った範囲は、踏みつけて種房を割りかねない部分にすぎず、半分以下にとどまっています。しかも、種房はまだ落ちきっていません。

 そこで妻に、今年は幾つぐらい花をつけたのだろうか、と問いかけました。「1000ほど?」と応えました。私は100の単位、せいぜい数百、と考えていました。落ちきった頃にもう一回拾って数えてみますが、2000はくだらないでしょう。ならば来年は、と考えました。木に一番勢いがある頃合いですから3000近くになるのでは、と思います。

 「1000や3000に驚かんぞ」という心境になったせいか、あるいはおかげか知りませんが、雨の金曜日は随分仕事がはかどりました。タマネギを乾かす関係で、風除室の整理をしました。自然生えのエゴマが昨秋に穂を摘んだままになっていましたが、種を取り出しました。ジャガイモなどが芽を出していましたが、選別しました。観葉植物の手入れもしました。随分ゴミが出ましたが、お陰で妻に喜んでもらえました。

 かくして土曜日を迎え、これから丹後まで選挙の応援に向かおうとしています。妻は弁当造りにとりかかっています。

 

トカゲを思い出した

バケツに2杯分ほどの泥をかき出した

数10センチも離れたところで最初のシャッターを切り

虫にかぶりつき、むしゃくしゃと食べてしまった

突き刺さっていた種房

数を調べるために知恵を絞リ@

数を調べるために知恵を絞リA

踏みつけて種房を割りかねない

 

タマネギを乾かす

タマネギを乾かす

エゴマの種

ジャガイモを選別しました

随分ゴミが出ました