望ましき仕事とその評価のあり方
 

 まず私はスギナの根を掘り出して見せました。そして、この掘り出した根の下には、掘り出せなかった根が底に残っており、その残った根まで掘り出そうとすると大仕事になる、と説明しました。どこまで掘り出せばよいのか。

 ある人は、底の根まで掘り出そうとする。ある人は、土の上に出た緑の葉だけむしりとろうとする。前者が1平方メートル分掘り出している間に、後者なら数十平方メートルは、手早い人ならその2倍にも3倍にもわたって葉をむしり取ることができるでしょう。どちらがよいのか。

 それは時と場合による、とさまざまな時と場合を説明しました。ですから、「草取りをしておけ」と命じられたら、命じた人の認識のほどを十分に心得ておく必要がある、とこれまたさまざまな時と場合を説明しました。これらの要素が重なって、「手早い人」とか「どんくさい人」、あるいは「丁寧な人」とか「手抜きをする人」などの評価に別れてゆく。

 もちろん、スギナの実態を知らず、あるいは目に見える部分しか知らず、仕事を堂々と命じる人もいる。その場合が苦労のしどころだ、と伝えたのです。その苦労をせず、仕事を堂々と命じる人やその命令をだくだくと受ける人が増えたから、マニュアルが造られ、マニュアルにそって仕事をさせる世の中になった。そして、マニュアルを作る方はロボットの開発に力を入れた。

 これも格差社会を生み出した一因だし、産業革命の弊害の一面ではないか。

 午後のお茶の時間の対話でした。