あだ竹
 

 農を基本とした生き方を尊び、たとえその生き方の一部であれ自らの手で切り開こうとしますと、あるいはその力を身につけようとしますと、とりわけ日本では、あるいは東洋では、竹を除いては考えられないように思います

 私は栽培植物として竹を重視し、重宝していますが、竹の管理は大変です。タケノコの段階で採れば食べ物になるのに、放っておいたら始末に負えなくなります。おそらく、わが家の庭で言えば、3年も放っておくと、庭を作り替えなくてはならないでしょう。

 そこで、不要なところに、さらには邪魔になるところに芽吹いた竹や、用を足しそうにない竹を,私は「あだ竹」と呼んでいます。役に立たない(徒)竹、さらには恨みの対象にすら成りかねない(仇)竹と見ているわけです。

 日割り書生は、あだ竹の成長の速さに舌を巻いていました。5日間で写真のごとく芽生え、伸びてしまうので。最も、左側の数本は、日割り書生が見落とした分だと思います。なぜ見落としたのか私は考え、私なりの意見を添えました。

 サルに初めてタケノコを襲われるようになり、気付かされたのです。サルも見落としたに違いないとしか考えられないタケノコがありました。つまり、擬態です。タケの皮の模様は、タケの枯れ葉が積もった藪の様子とそっくりです。