トッテンさん
 

 日経新聞は最近、トッテンさんの生き方をとり上げました。サラリーマンのセイフティネットとして、従業員に推奨すべき「率先垂範行為」と日経が評価した、と私は受けとめ、とても嬉しくなりました。こうした経営者の出現が私の待望でした。

 ところが、ある経営者に、この話をしますと、寂しい反応が返ってきました。もちろん私の説明不足が原因でしょうが、その経営者は、月2万円で従業員に百姓仕事までさせ始めた、と受け止めたのです。トッテンさんの従業員中心主義が始めさせた行為を、経営者中心主義の行為であろう、との受け止め方をしたのです。

 もちろん、素人の家庭菜園や日曜大工で生み出せる品々は高が知れていると言われそうですが、私には異論があります。過日の当週記で、時給100円とマイナス5000円の会話を引用したこともがあります。私が終日をかけて造った薪を、商店で買えば「時給100円(相当)の仕事だろ」と友人は笑いました。私はゴルフ日として過ごしたその友人に「君の1日は時給マイナス5,000円であったわけだ」と切り替えした話です。

 私はこのプラマイ5,100円を問題にしているわけではありません。遊んだつもりで遊ばれていた、とでも言い直せそうな問題。お金さえ出せば誰にでも手に入るモノやサービスは、それこそ「高が知れている」のではないか、と言いたくなるような一面。逆に、世界で唯一と断言できるモノやサービスにこそ「かけがいのなさ」という言葉を用いてよいのではないか、と言いたくなる一面、などを気にかけています。

 それよりも何よりも「いつでもロビンソン・クルーソーになってみせる」とでもタンカを切りたくなるような自信や威厳も大切でしょう。

 私は、トッテンさんのような経営者が次々と現れてほしい、と願っています。そして年間所得1億円以上の公表制度ができたのを幸いと受け止め、堂々たる生きる方を示して欲しい。そして勤労者の将来の夢にしてほしい。

 それはともかく、もし私が若ければ、トッテンさんの会社に就職し、トッテンさんの提唱に飛びつき、従業員の模範になっていたことでしょう。ならば20年ほどで、今の私のような生活を手に入れられるはずです。もちろんそれは,妻の協力次第です。

 そのためには、各人が工業社会の罠に早く気付き、独力でその罠にかからずに済むように手を打たなければ、との意識を持つことが必要です。なぜならこの罠は、ローマ時代の「パンとサーカス」に似ており、人々の心の隙に仕掛けられがちです。麻薬が身体に対する侵害だとすれば、工業社会の罠は精神に対する侵害だ、と私は見ています。

 もっとも、このような話題をトッテンさんと取り上げたことは一度もありません。とりあげるまでもない自明のこと、と私は見ているからです。