教材
 

 ガンガン冷房が効いた農協では、セーターを着込んだ女子事務員がいました。商品の販売方法は、かつてソ連や中国で買い物をした時に見たシステムと似ていました。商品を取り扱う人、売上伝票を作る人、そして代金を扱う人が別々なのです。そして肝心の防鳥ネットの使い方を会得している人はいなかったのです。これだけの条件が揃えば立派(?)な教材になります。

 蒸し暑い庭では、萎れかけた鉢植えのホウセンカが教材になりました。水をやると1時間ほどでシャンとすることを確かめてもらった上で、水切れに弱い植物もあれば、日照りが苦手の植物もある。寒さに弱いとか温度差を嫌う植物もある。そうした特色のある植物を危機管理のバロメーターとして尊重すべきだ、と訴えました。しかし最大の問題は,植物は語る口をもっていないことだ、と指摘しました。

 人間の組織であれば、方針なり方向なりを、要は理念を明確に伝え、そして様々な特色を持った人を尊重すれば、理念に沿って申告してもらえる。してもらえるように努力すればしてもらえる。だが植物はそうはゆかない。そこに問題を見出すべきだ、と語りました。

 にもかかわらず、この植物の特色に無頓着になりかねない農業の工業化を進め、とりわけコンピューター管理できる植物工場まで生み出し、植物をロボットのように扱うようになっているだけでなく、人間まで代替性がきくロボットのように仕立て上げている。それがわが国の農業だけでなく、国家の屋台骨まで腐らせていたことに気づいている人は少ない、とも指摘したかったのですが,これは控えました。