とても気になる新聞記事
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後日じっくり読もうと思って抜き取ってあった新聞記事にも目を通しました。そして70年ほどタイムスリップしたような心境にされました。 2紙で「中国」という大きな活字が目を引き、丁寧に読んだのです。「観光まで『中国頼み』」との記事を載せたのはトッテンさんを取り上げた日の日経新聞でした。7月6日の京都新聞は「中国の巨大市場に活路」という見出しの大きな記事がありました。 とりわけ後者の記事を見て夢がつぶれました。その瞬間まで自慢してきた男が、ちっぽけに見えてしまったからです。かつて勤めた商社での同期生であり、社長として活躍し、その後も大活躍の上に、このたびは中国大使に選ばれた男のことです。民間人が大使に選ばれたことは高く評価されるべきです。ただし彼は「2015年中国バブルに日本の勝機あり」との意見の持主であった、と知ってがっかりしたのです。 それが理由で彼を中国大使に選んだとすれば、選んだ人はどうかしています。また,それが見込まれて選ばれたと知って応じたとすれば、それも大問題です。まだそんなことを考えていたのか、と言いたい。それでは70年ほど昔の次元の意識ではないでしょうか、そう感じた私はついに持論を反芻しました。 70年ほど昔の日本は、国の窮状や国民の鬱憤を、武力戦争で活路を開き、打開しようとしました。いわば、欧米列強の植民地主義に真似て、それを最後に振りかざす国となり、袋叩きにされています。それに似ているではありませんか。違うところは経済戦争であるという点だけです。それは余計に巧妙になり、問題を複雑にしてしまいかねません。 悪しき経済戦争であるグローバリゼーションを真似て、意気揚々と挑んでいたら、また袋叩きにされかねないとも限りません。捕鯨問題などは、その前兆ではないでしょうか。 それよりも何よりも、13億の中国人が,日本人のような真似をし始めたらどうなるか。たとえば自動車の需要は10倍に増えるかもしれませんが、世界の食糧問題は確実に破綻します。さらに貧富格差を広げたり、数10万人もの自殺者を毎年出したりするような国になったらどうなるか、火を見るより明らかではありませんか。 もはや未来は、これまでの延長線上にあると考えてはいけないのです。とりわけ、資源小国のわが国は、慎重であるべきです。これまでの日本は「あればあるに越したことがない品を売って得たお金で、なければ生きて行けない品を買ってきました」。それは、資源や食料が有り余っている時代には有利に働きましたが、逆転するととても惨めな立場に追いやられかねません そのような恐れが明らかに見えている競争に巻き込まれるのではなく、逆に、資源小国を利点として活かし、次の時代の潮流を生み出し、世界に広めようとすべき時です。 今や地球ベースで資源枯渇化に向かっています。これまでのように「最大の消費が最大の豊かさや幸せをもたらす」と考えているようでは時代遅れです。「最小の消費で最大の豊かさや幸せをうる生き方」を編み出し、次の潮流として率先垂範すべきときなのです いわば、高が知れているモノやコトに狂奔して孤立化を進めるのではなく、かけがえのない生き方や関係を尊重する方向へと梶を切るべき時だと思います。たとえば、ブータンのような国もあります。物的な豊かさでは日本の比ではない国ですが、ほとんどの国民が幸せだと思っています。 少なくとも、豊かさや幸せ観を切り替えるべき時ではないか。これまでは、他の人と比較してより高価なものを持つとか順位をあげようとするなど、相対的な差異を競って豊かさや幸せ感を得ようとしてきました。しかい、もっと絶対的な豊かさや幸せもあるのです。たとえば、きれいな空気や水とか多様な動植物に恵まれる、あるいは調和の取れた景観に恵まれるなど、未来世代とも共感できる豊かさや幸せもある。 野菜一つをとっても、姿形や色づき具合がそろったはしりを、いわば高価な季節外れを買って喜ぶ気持ちもわかりますが、家族で育てた世界で唯一の旬の野菜にかけがえのなさを見出し、そこに豊かさや幸せを感じる価値観もあるはずです。 トッテンさんは、収入が半減しても、むしろ幸せ感が増す生き方を提唱しています。その生きたモデの1つとして、わが家を見てもらえているのではないか、と私は感じています。 |