巨人のごとき生涯
|
作戦本部にいた高級職業軍人が、敗戦後身を転じて商社の役員になり、ついには日本の黒幕のような立場になった人がいます。「機を見て敏な人」「臨機応変の人」「勘が鋭く、身の振り方が上手な人」だから「敵も多かった」といった紹介のあと、「よほどソ連が嫌いと見えて、(欧州出張に際して、新設された当時の)モスクワ経由便(当時の最短コース)を予約した秘書が、こっぴどく叱られていた」とのエピソードの披露もありました。私にはとても腑に落ちる話でした。 この人をモデルにした有名な小説がありましたが、そこに出てくるソ連抑留慈恵第の苦労談とはまったく逆の、実に恵まれた生活をしていたとの証言がありました。ですから、抑留中に一時帰国して、東京裁判でソ連に与する証言をした、とのことでした。 もしこの証言が事実なら、送還されてから態度を一転させたことになります。ですから、モスクワ経由便で行けばそこで拉致されかねない、と恐れたのではないでしょうか。 それはともかく、「戦争とビジネスの本質は同じ。同じ戦略を活かしうる」との意見の持主でした。ちょっと変わっているところは、裏社会や裏世界との結びつきを好み、常に暗い影がつきまとった生涯でした。それがややこしい話を難なく解消させていた、との証言もありました。また、質問内容を限定しない限り、インタビューには応じないかたくなな態度の持主、との苦情もありました。 死後さまざまな角度から、とりわけ60万人のシベリヤ抑留問題の真相面が、あるいは生涯の真価が掘り下げられたり検証されたりするに違いない、と期待していたのですが、期待はずれで終わってしまいそうです。 |