重なった
 

 早朝のサルと、夜のウシガエルの事件の間に、幾つもの印象深いことが生じたのです。

 妻はいつものごとく野菜の収穫に出ましたが、その帰途、7時前に、玄関脇でクワガタムシを見つけました。私が子どもの頃に「憧れていながら、ついに捕れなかったオオクワガタ(?)」ではないでしょうか。相当弱っていましたが、後刻そのわけ(?)を知ってとても残念に思っています。

 それは、キノコ博士ご夫妻と庭を巡っていた時のことです。「やはり」との思いで見上げた太いクヌギの木です。立ち枯れていたのです。2日前に「もちこたえてくれそうだ」と胸をなでおろし始めていた矢先のことでした。大雨に絶えられなかったのでしょう。

 「2度あることは3度ある」ではありませんが、3本目の太いクヌギがついに枯れたのです。これらの3本はいずれも「緑の天蓋」を作らせるために頭を切り取っていますが,その頭の切り取り方が乱暴でした。エンジンソーで半ば切込みを入れ、願う方向にウインチで引っ張って力づくで倒す方法です。切り取る人間には安全この上ありませんが、木には裂け目を入れるなどストレスを与えます。その後2〜3年は事なきを得たのですが、1本、また1本と立ち枯れし、ついに3本目も枯れてしまったわけです。

 その後、手を変えて、7本のクヌギの頭を切り取ってもらっていますが、まだ1本も枯れていません。その切り取り方は、下手をすれば人間が大怪我をしかねない方法です。到底私には真似のできない職人技で、木を傷めないことを第一にしているのでしょう。

 それはさておき、このたび立ち枯れた1本は、昨年からスズメバチやジャノメチョウを呼び集めていました。弱って蜜源になっていたのでしょう。大きなクワガタムシも、この蜜が切れてしまい、弱ったのではないかと思います。でも妻には話していません。もしそうだとすれば、クワガタムシがわざわざ蜜切れを訴えるために玄関までやって来た、かのような印象を与えかねないからです。妻のことですから、そう信じてしまいかねません。私は何かの偶然だと思っています。

 この間に、いまだに正体を突き止めていない動物に不安を抱かされています。次に、地下水を貯めるための井戸枠水槽から大きな金魚がいなくなっていることに気付かされています。何年も何年もかけて、何十匹もの小さな金魚の中から生き残った金魚です。この後で、キノコを見る目をまたまた改めさせられる体験をするわけです。つまり、1日に6件もの忘れえない思い出を次々と積み重ねたことになります。

 余談ですが、翌火曜日に、保護中のカブトムシがサナギから脱皮してツートーンカラーの段階に入っていました。その後次第に黒くなることを確認しています。

 水曜日には、温室で水町さんと遮光ネットを張っていますが、そのおりに初めて見る卵を2つ見つけました。野小屋に保管していた遮光ネットに産み付けられていたのです。大きさや形はカナヘビの卵のようですが、ぶよぶよしており、表面は「小さなまゆ」のような印象を与えます。また、その数はカナヘビのように4つではなく2つだし、遮光ネットとも軽くつながっていました。妻はわけあってこの卵を親しい人に譲り、観察してもらうことにしています。妻はヤモリの卵であろうと睨んでいます。

 木曜日に、ヘチマやゴーヤの花が咲き始めました。そしてまとまった数のトウガラシが採れ始めています。残念ながら、おいしそうにみえた万願寺とうがらしは辛かった。
 

オオクワガタ

初めて見る卵を2つ見つけました
   

おいしそうにみえた万願寺とうがらしは辛かった