望ましき煙の効用
 

 これまで私は「人工と自然の峻別」がとても大切だと折に触れて訴えてきました。煙がその好例です。

 人間の人間たるゆえんの1つは、何万年にもわたって煙と親しんできたことです。とりわけ日本人は、お香を嗅ぎ分ける遊びまで創出して楽しんできました。

 この何万年にもわたって煙を吸い込み慣れてきた身体から、急に吸い込み慣れた煙を断ったらどうなるか、と私はかつて考えたことがあります。その煙を吸い込むことを前提にしてきた生体は、きっと異常をきたすに違いない、と睨んだのです。

 そう考えた私は、こうした考え方に沿った庭造りに励み、必然的に生じる庭掃除の残滓で焚き火をしたり、薪風呂を守ったりして定期的に煙に親しんできました。両親は痴呆症の片鱗もなく、共に享年93歳で自分の布団で他界しましたし,妻は医者知らずです。

 そうこうしている内に,森林浴の健康への有効性が取りざたされるようになり、これは煙にも通じる一面があると思いました。森林浴が体に良いのは植物が排出するフィトンチッドのお陰だそうですが、フィトンチッドは毒物です。動けない植物が、ケムシなどに襲われたときに身を守るために排出する毒物です。しかし、人間は、何万年にもわたってフィトンチッドと親しんでいる間に、フィトンチッドにさらされることを前提にした生体となり、ついにフィトンチッドを活性剤かのように活かすようになったに違いない、と睨んだのです。

 その後、免疫学の権威が回虫とアトピーの関係を論じるようになり、やがて自らの腹にサナダムシを棲みつかせ、『獅子ふんちゅうのサナダムシ』といったような題名の著書も夜に送り出すようになっています。