天国のようだ
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何年か前に、今道友信さんの『ダンテ「神曲」講義』で、天国とは働かずにぐうたらに過ごせるところではなく、やりたい仕事がいっぱいあって好きなだけ勤しめるところ、と読んだ時のことを思い出しました。 さらに、建売住宅などなかった時代に生まれてよかったとか、父は病床にあり、農業で生き抜くしか道はないと覚悟して野良仕事に立ち向かった母の下で育ってよかった、とも思いました。それが、今日の私を作ったのだと思います。母が一家を支えるために農業に勤しんだ畑地に、私が苗木を1本1本植え始めさせたのは52年前のことです。 このところの晴れた日の朝一番に目に飛び込んでくる光景は、半ば偶然の産物です。多くの自然生えの草木がかかわっているからです。引き続いて、計画的に創出した光景を屋内から眺めて回わりました。計画的とはいえ、さまざまな草木は、必ずしも期待通りの役割を、願ったとおりに果たしてくれるとは限りません。しかしその好きなように伸びた落葉樹がしげり、気化熱の原理で、眠ったりしている私に肌寒さを覚えさせるような朝を迎えさせるわけです。 いずれにせよ、52年前は世の中が豊かになり、この土地も耕作放棄され「すすきケ原」になっていました。 |
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朝一番に目に飛び込んでくる光景 |
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計画的に創出した光景を屋内から眺めて回わりました |