近代社会が育てた必要悪
 

 また、釈迦に説法になりますが、

 近年では、利益を目的とする企業を必要悪と見る風潮が世界広まっています。アメリカのパタゴニア社などは、社会を変革する道具として企業を位置づけ、その変革目的を社会に公開するようになっています。そして、売上高の1%を地球税と呼び、しかるべき運動に寄付し、それも公表するまでになっています。ちなみに、売上高の1%より、利益の10%のほうが金額的に上回るようになり、売上高の1%もしくは利益の10%の多い方を地球税とみて寄附に回すまでになっています。

 これまでゼネコンや商社など多くの大企業は開発事業に関わってきましたが,その多くは破壊行為であったと見てよいでしょう。その一例が公害問題、脱ダムやゴミ問題、あるいは資源枯渇問題などでしょう。閣僚室は多くの規制を生み出す温床となり、その利権に政治家だけでなく官僚も天下りという方式などで甘い汁を吸ってきました。それがこれまで、それほど問題にされなかったのはなぜか。それほどゆとりがあったからではないでしょうか。

 そのゆとりを問い詰めてゆけば、なんてことはない、国民も一緒になってそのゆとりの源泉から甘い汁を吸っていたことに気付かされます。では、何をみんなで甘い汁をすう源泉にしていたのか。それが地球です。人間は地球に巣食った寄生虫のようなことをしていたのです。地球環境を人為的に変えるほど、人間は地球を蝕んできたのです。手前味噌になりますが、拙著『次の生き方』で「自然ドロボウ」という言葉を用いたゆえんです。

 問題は、「人間は地球を蝕んできた」といったのでは語弊があることです。環境問題に大きく関わってきたのは人間の一部に過ぎないからです。その一部の人間とは先進工業国の人間のことであり、近代社会に棲む私たちのことです。この近代社会を育んできた人や組織をここらあたりで必要悪とみて探求・検証する必要がありそうです。さもなければ先進工業国自体が必要悪になりかねません。

 そうと気づかされた私は、脱工業社会・ポスト消費社会を唱え、次なる社会への移行の必要性を叫び始めました。それは、ある下問に対する回答でした。1962年に私は商社に就職しましたが、その商社では少なくとも少壮社員は、創業2代目を雲上人のように見ていました。その人が、私が入社した年に「商社斜陽論」をぶちあげ、数年後に「商社不要論」を唱えました。その商社不要論に対して、私は商社こそが日本を栄えさせる最重要組織だと叫びたくて、回答を用意しました。しかし、ごまめの歯軋りに終わりました。日本中が「自然ドロボウ」に躍起になっていたので相手にされなかったのです。ちなみに、総合商社という国際的な組織は、少なくとも当時は、日本にしかなかった組織でした。

 やがて私は、その想いを『ビブギオール・カラー』(1988年)を皮切りに一文にまとめはじめました。「ホワイトカ」や「ブルーカラー」など近代社会が生み出した単色で表現される人とは「おさらば」し、多彩な人になろうとの呼びかけでした。ですから、副題に「ポスト消費社会の人たち」という言葉を選びました。ちなみにビブギオール・カラーとは、ヴァイオレットのVから始まりレッドのRで終わる「虹の7色の頭文字・VIBGYOR」に襟のカラーを結びつけた造語です。Iはインディゴ。

 2年後に『人と地球に優しい企業』を著し、必要悪に留まっている企業からの脱皮を提唱しました。その時に、「人が地球に優しくなる」などといった考え方は不遜、と批判した人がいます。「地球にとって人間などは痛くも痒くもない小さな存在だ。びくともしない」との意見でした。たしかに地球は数回にわたって9割近くの生物が絶滅した歴史を持っていますが、びくともしていません。しかし私は、人間の存在まで必要悪とか、不必要な存在とは思いたくなかったのです。そこで、「自分たちには厳しくなって、人と地球に優しくなろう」、自然ドロボウから脱皮しようと叫びかけたわけです。

 余談ですが近年、心配していたとおりに「ホワイトカ」や「ブルーカラー」のリストラが始まりました。また手前味噌になりますが、必要悪の心配がごまめの歯軋りになった頃から、私はビブギオール・カラー化にいっそう努めています。いわばその報告書が『京都嵐山エコトピアだより』。です。

 その経験から言えば、今はビブギオール・カラー化に手をつける好機だと見ています。さもなければ、もっと落胆させられる憂き目に合いそうです。その憂き目に合わずに済ませるために親友が著した行動編思索編の著書があります。
 

行動編

思索編