国民的議論のテーマ。
 

 眼に見えない病原菌の駆除を、責任をもって迫られると、牛、豚、あるいは鶏の皆殺し作戦をせざるをえないのでしょう。そして、矛盾した飼育方法に走らざるをえなくしているのでしょう。つまり、眼に見えない菌から動物を守る大掛かりな飼育設備の中で,モヤシのような育て方をする方向です。それは、責任逃れ(言い訳の材料作り)と、採算性が追い込んだ方向でしょう。

 動物をそうした施設の中で飼育すること自体が動物愛護の精神と矛盾しています。しかも、そうした動物をペットフードの材料に用いながら,ペットの愛護問題を騒ぐのはさらに複雑な矛盾をはらませているように思います。

 もちろんこれらはすべて論理ではなく、国民の感情問題がそうさせているのでしょうが、感情は状況次第で一転しかねません。そうと分かっていながら、状況が一転した時のことを論理的に充分問題にしておかないと、私たち国民は右往左往させられかねません。これまでに国民が右往左往させられた問題を紐解きますと、常に国民は命がけの混乱に巻き込まれ、それまでに気づいた資産を空なさせられたりしています。

 煮れば人間の食料にもできる鳥インフルエンザにかかった鶏はもとより、鳥インフルエンザにかかっていない鶏まで一緒に殺してゴミにする今の方式の採用は、それ自体が国民を右往左往させる準備をしている証拠のように思えてなりません。

 食糧危機問題が身につまされていない今のうちに、食料パニックになった時の心の準備をするように導くことが、今政府に求められている最重要課題だと思います。さもなければ、国民同士でのいさかいを煽るようなことになり、漁夫の利を国民から得る準備をしていたようなことになりません。

 近頃のテレビ番組を見ていて、いつもこうした不安にかられます。1分ほどかけてチャンネルをくるくると変えてみて、すぐにスイッチを切ってしまう人が増えているのではないでしょうか。さもなければ、慌てふためく準に入らされている、と見ておいて良いのではないでしょうか。