地域共同体意識
 

 トスカーナの広々とした丘陵地帯は、麦の種をまく時期を迎えていました。旧態依然たる農法でした。この非効率な農法が「この景観を守った」「この景観を守るために農民が手を携えた」と知ったときに、私はかつての日本の田園風景であった「田毎の月を」思い出しました。

 アメリカが先鞭を切った工業社会は、流れ作業を標榜して企業の巨大化に走り、ブルーカラーとかホワイトカラーなどと人間を分解し、ロボット化しました。それは、効率や便利さなどを謳い文句にした消費社会を生み出し、人々を魅了し、家族共同体や地域共同体も破壊しました。その一環として、食の面ではファーストフードをあげられます。その先鞭を切ったマクドナルドがローマに出店したときに、危機意識を抱いた人がスローフードを標榜して立ち上がったわけです。このたびの出張で、この運動は決して有機栽培食品、地産地消、あるいは家庭料理などを標榜しているにとどまらず、アンチ工業社会の運動だと見て取り、感銘を受けました。

 手前味噌になりますが、スローフード運動が始まった頃に私は「工業社会は破綻する」と確信しており、むしろ「終焉させるべきだ」と見て取り、ブルーカラーやホワイトカラーよ「さようなら」とでも言ったような一書を出しています。『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』です。

 その頃の日本では、農業の工業化を標榜する圃場整備事業を推し進めていました。水田面積の拡大化をはかり、落差が大きくて巾広い畦畔を増やし、水はけの悪い水田にしてしまう政策です。それは米の反収を2倍に増やさせましたが、麦などの畑作に向かない農地にしていたことになりますし、農薬や化学肥料漬けのコメを作る農法です。

 その結果、減反政策をすすめざるを得なくなったり、機械の購入などで農家を謝金地獄に追い込んだり、水中生物を激減させたりしてきました。食糧増産が必要になる時が近づきつつありますが、耕作放棄された土地は再び畑や水田として活かす上で大変な苦労が伴いそう、と聞かされています。それはともかく、田毎の月をはじめ農村風景を壊しましたし、農村の人たちの心までバラバラにしてしまったのではないでしょうか。