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図らずもプロパガンダ? 10/12/05
 
 今週は来客のアテンドと4人の学生助っ人を迎えた庭仕事の日から始まりましたが、明29日から1週間にわたって鹿児島に出かけ、鹿児島大学での集中講義に当たります。そのようなわけで、このたびは、気になっているサフランに関わる話題を取り上げました。

 先々週の火曜日の夜、NHK―TVが大分県のサフラン栽培農家を紹介しました。高齢のご夫婦が、現金収入源として半世紀以上にわたり、サフランの大量生産に取り組んでいました。そして、先週の金曜日、わが家では最後のサフランを収穫しました。このサフランに関する出来事にかかわりながら、この1年はサフランで栄えた2つの街も訪れていたんだ、と振り返りました。トルコのサフランボルとイタリヤのサンジミグナーノです。

 この2つの街を訪ねたときに、とても羨ましく感じています。サフランで栄えたときに造り上げた街で、今も日常生活が繰り広げられていたからです。サフランボルはかなり荒廃していましたが、世界文化遺産となってから観光客が増え、復旧に余念がありませんでした。サンジミグナーノは塔の街として有名です。往年は70本もあったそうですが、今はかなり減っています。とはいえ両街ともに、エイジング効果といえばよいのでしょうか、とても落ち着いた美しさを誇っており、人々の暮らしぶりは穏やかに見えました。

 NHKのサフラン栽培を紹介する番組のおかげで、初めて知ることがたくさんありました。サフランを土に植えていなかったこと。木で作った餅舟のような容器に太ったサフランの球根をびっしりと敷きつめ、薄暗い小屋の中にある棚に幾段にもわたって積み上げていたこと。そして花が開く直前に花ごとちぎり取り、その花から夜なべ仕事でメシベを摘み取っていたこと。5弁ある花びらの1弁をちぎりとり、できた隙間からメシベを垂らしてつまみとること。そして、メシベを新聞紙にはさみ、切炬燵の中で一晩かけて乾燥させること。この老夫婦は、毎年この時期は毎晩何時間にもわたってメシベを摘みとりながら、これまでに一度も言い争いをしたことがないことも印象的でした。

 問題は、この番組のレポータの意見でした。サフランにとって「優しい育て方」といって悦に入っていたのです。多くの視聴者は、NHKは嘘をつかない、間違ったことを放映しないと思っているだけに、問題です。たしかに、土に触れず、雨にも打たれずに済む箱入り娘のような育て方です。しかしそれは、私の目には生産効率一辺倒の残酷な育て方だと映りました。鶏で言えば、路地での平飼いがやさしい飼い方だと思います。いわんやおや、土に植えて育てるべき動けない生き物の話です。にもかかわらず、NHKは「やさしい」と言わせたまま放映したのです。戦時中のNHK放送のプロパガンダを連想しました。当時のNHKが、軍部に与している心に気づかずに積極的に繰り広げた報道が、戦後から見るとプロパガンダになっていた、という構図です。それと同じことが経済戦争下で行われている、と見たのです。やがて植物にたいする人々の意識は大きく変わることでしょう。

 それはともかく、私たちは目先の生産性や効率一辺倒に走りがちです。そしてよろしき文化などを破壊しがちです。イタリヤのトスカーナでは,昔ながらの農法を護り,景観を保っていました。それが農民の願いだ、と聞かされました。その意識が、日々穏やかに住んでいる所が文化遺産になるような生き方に導いたようだ、と思いました。日本からも大勢の人が、かの地の昔ながらの光景を求めて大枚をはたき、繰り出していました。資源小国の日本こそがこの立場になるべきではないか、と考えこまされました。
 
来客を早朝の常寂光寺に案内しました。そのあとで、小倉山の展望台にのぼり柿の葉寿司と赤だしの朝食をとりました。この来客も庭掃除を手伝ってくれました。

学生には、様々な仕事をしてもらいました。楓の太い枝と椿の切り取り、野小屋ぞいの土削りの仕上げ、木肌の選定、落ち葉掃除など。そして最後はいろりばにたまった木くずを燃やしてもらいました。

わが家最後のサフランの収穫分と、乾燥し終えた今年分。花びらをちぎらずに、メシベだけつまみとってきましたが、来年からは多くを花ごとちぎりとろうと思います。この点に関しては、サフランボルやサンジミグナーノでも採用してきた方式ではないでしょうか。そのほうが球根を太らせる上でも有効だと思われますし、花びらも入浴剤などに活かせます。

トルコ旅行で立ち寄ったサフランボル。そして泊まった民宿。昔ながらの生活が繰り広げられていました。庶民の生活文化がそのまま観光資源になっていました。水を誰でもが無料で飲めたローマ時代から始まる水飲み場が随所に残っていました。市民福祉の根本であったのでしょう。今も活きているのもありました。


もちろん今も、サフランを売り物したビジネスが残っています。しかし、そうしたモノ売りよりも、昔ながらの居住区で、人々を優しくもてなすサービスの方が訪れる人を和ませており、生活の糧や誇りに結びついているようです。

サンジミグナーノは塔で有名ですが、それは権威の象徴として競って建てあったようです。街全体が観光施設になっていました。

井戸と広場を中心にして形成された街と、庶民の生文化がそのまま観光資源になっていました。自分たちの街を,便利さとか効率とかを求めて変えてしまわず、生活文化を保っていたら、それが世界中から人々を惹きつけるようになった、といってよさそうです。