経済戦争でも
 

 武力戦争と違って、経済戦争は潮時を押し測りにくい。太平洋戦争では、ポツダム宣言を黙殺して広島や長崎などで数十万の都市住民を惨殺させているし、玉音放送でさえ「未だ敗北していない」と主張し、東条など主要人物は遮ろうとしている。それ以上に経済戦争はケジメが不鮮明で、潮時を見誤りかねない、といってよいでしょう。

 しかも、工業革命の行く末とも言うべき昨今の経済戦争は、人類がかつて経験したことのない難しい一面を伴っています。つまり、これまでのやり方との決別とが求められているのに、その潮時を見間違いたくさせるような魔性を伴っています。

 さすがは稲盛さん。この点を充分ご承知のようです。鹿児島大学の後輩に対する「人は何のために生きるのか」との講義で稲盛さんは、現代文明は半世紀も持たないであろう、との見方を示されていました。人類はこれまで、常に欲望の解放を目指してきた、そこに問題がある、との前提の講義であったようですが、かつてローマクラブが鳴らした警鐘「成長の限界」に言及し、日本でもそのような研究を既に始めており、いずれは警鐘を鳴らしたい、との考え方を明らかにされていたのです。

 幸いなことに。私はこの点に早く気づく機会を与えられていました。およそ50年前にアーサー・シュレジンガーJrがケネディ大統領に与えたというた助言を、膝を打つ思い出受け止め、150年前にウイリアム・モリスが明らかにしている卓見を思い出しています。そして、資源小国は異なる繁栄を目指さなければいけない、と思わせられています。とりわけ、食料自給率がだんだん下がるに従って、危機意識を高めています。

 モリスは、産業革命を起こしたイギリスで、工業社会の行く末を見抜いていました。1851年にイギリスは、国威発揚を狙って、いわゆる第1回万博をロンドン郊外で開いています。モリスはそこに工業社会の醜さを見出しており、異なる繁栄を目指す運動を始め、幾つかの卓見を披露しています。

 その1つは、工業社会は「古代の奴隷や中世の農奴よりも惨めな賃金労働者を生み出すであろう」というものでした。この卓見を私は50年前に知りましたが、今や日本はその通りになっています。奇跡の復興と言われた戦後のわが国ですが、それだけに忘れ物も多かったのでしょう。結果、アメリカがイラクで戦死させたアメリカ兵士の総数を上回る人数の賃金労働者を、毎年わが国は自殺に追い込んでいます。それだけでなく、勤め上げた熟年賃金労働者の家庭では、離婚や屋内離婚をふやさせています。

 アーサー・シュレジンガーJrは、20世紀人であったケネディ大統領に対して、「19世紀の偉大なる英雄たちは、21世紀の極悪人への道を歩みつつある」と助言しています。このところ、わが国でも、かつてなら英雄視したような企業経営者や政治家を、その成功プロセスに瑕疵を見出し、次々と詫びをさせ、晒し者にしてきました。

 既に幾度か触れたことですが、日本は武力戦争では「ババをつかみました」。最後の植民地政策を引っさげて太平洋戦争を始め、その麺での先進諸国に袋叩きにされました。しかも、その戦後処理を間違い、従軍慰安婦問題や強制労働問題などで未だに尾を引かせており、未来世代に辛い思いを、つまり不名誉な思いをさせかねないようなことをしています。捕鯨でも、その二の舞を演じかねないやり方をしつつあります。

 このたびの「稲盛セミナー2」の講義で、私はDDT開発者に賞を授けながらレイチェル・カーソンに授けられなかったノーベル賞をとりあげ、レイチェル・カーソンにこそ与えるべき賞の新設が必要だと訴えました。もちろん、印象派が台頭したときに、あるいはローマクラブが警鐘を鳴らしたときに、その代表者や画家にこそ授けるべき京都賞にすべきだ、つまりアナザーノーベル賞ではなくオルターナブノーベル賞にして「稲盛賞」と改名すべきではないか、と訴えた次第です。

 もしこれが実現すれば、わが国の未来世代に誇らしげな気分にさせるでしょうし、もちろん日本の企業にも望ましき影響力を及ぼすことでしょう。つまり、工業社会とは異なる繁栄を目指す方向転換を促し、日本再興に繋げさせることでしょう。さもなければ、日本の衰退は必定であったことを時間が教えることでしょう。

 ちなみに、イナモリジュエリーについて、宝飾品として活かすことに意義などありませんが、異なる希望も伝えました。京セラのセラミック製の包丁やおろし器の愛用者としての意見です。包丁やおろし器はどうしても欠けたりなまくらになったりします。その砥石など研磨剤として活かすべきだと訴えです。いまやセールスプロモーションより、カスとマーズケアーを大切にすべきだとの時代認識です。