「結果」よりも「経過」が重視される
 

 近年の企業は、売上や利益という結果を急ぐがあまりに、ビジネスのありようを、つまり経過を巧妙にしがち、と見受けられます。もう1つの気がかりは、野球やサッカーなどのスポーツ人気です。さらに、バラマキといってもよさそうな社会福祉の蔓延です。

 問題は、スポーツや社会福祉そのものに悪しきところなど見いだせませんが、それらを企業や政治が隠れ蓑にしかねないことです。昨今のわが国は、まるでローマ帝国時代末期の「パンとサーカス」時代の再来を見るような気分にされます。寂しい限りです。

 「結果」と「経過」に話を戻せば、スポーツの「結果」などは翌朝の新聞を見るだけで十分という人もいるでしょうし、「結果」にも関心のない人もいるでしょう。しかし、次第に「経過」に熱中する人が増えているように見受けられます。もちろんこの点にも異議を挟む気持ちなど毛頭ありません。

 問題は、こうしたスポーツなどの人気にあやかろうとする政治や経済の中枢にいる人たちの蠢きです。未来に備える肝心のことを忘れて、それらの振興や誘致に多額のお金をつぎ込む神経です。きっとそれは目眩ましでしょう。政治と経済の「経過」に向けられかねない目をそらせるためではないでしょうか。

 政治と経済の中枢にいる人たちの苦労のしどころは「目標」の設定と達成させるための「経過」でしょう。本来ならスポーツ選手のようにその「経過にこそ目を向けて欲しい」と願って当然でしょうが、逆に「経過」を洗いざらい明らかにするウィキリークス(?)などを彈劾しようとする人さえいます。