こうあってほしかったと願う一面
 

 病院に対しては、患者に相談せずに、少なくとも事前の説明もせずに、いきなり担当医を変えるのはよくない。100歩譲って、事前に説明できない事情が生じることもあるでしょうから、その時はその理由を患者にきちんと事後説明するシステムにしてほしい。

 医者にとっても、意義を認められない移動などの人事は望ましくなく、そうしたことが起こりかねない制度では、そのストレスは患者に転嫁されかねません。第一、唐突に患者を変えられた医者は、患者の顔を見るゆとりさえなくし、コンピューターに打ち込まれたデーターと睨めっこせざるを得なくなるでしょう。

 私の事例で言えば、ついに問診も触診もありませんでした。もちろん、担当医は熱意に富んだ人でしょう。しかし、その熱意が逆に、患者不在の自己防衛的に見えかねない態度をとらせかねません。それではとても気の毒です。もし私のような患者が現れたら、せめて次のように対応すべきでしょう。

 「私(あるいは当院)は、この時点で投薬を断ち切ることには賛同できません。しかし、あなたが自ら自然治癒能力に頼って治してみたい、つまり本来人間が持ち合わせている免疫力や治癒力を活かしたい、あるいはそれらを高めたいとおっしゃるなら、それを全面否定するものではありません。ただし、私(あるいは当院)は、以下の提案をします。

 投薬を絶ってから、もし何らかの異常を感じたら、直ちにアポイントを取り、訪ねてください。とりわけ、脈拍が乱れたり、足が浮腫んだり、呼吸が困難になったりすれば、直ちに救急救命センターに駆けつけてください。このあなた独自の診断の是非が、あなたの命を左右することを覚悟し、あなたもあなたの身体をいたわってください」とでも言った提案をすべきだと思います。

 病は気からと言うぐらいですから、本来の医者のあり方は、まず患者の心をケアーすることではないでしょうか。ついで本来の免疫力を活かすために、あるいは免疫力を高めるために必要な処置を考えるべきでしょう。さもなければ、究極の薬や技術が完成するまで、堂々と診断や治療に当たれないはずです。医療や治療は日進月歩の課題であり、強いていえばすべての医療や治療は成長課程、あるいは実験段階や訓練段階であるからです。

 患者にすれば、他の医者なら、あるいは医院なら救ってくれていたのではないか、あるいは他の薬なら、とか同じ薬でも他の組み合わせなら救われていたのではないか、と考えて当然でしょう。

 そうではなくて、医者や医院は、命を預けられる人、あるいは機関ですから、善き配偶者関係と同様に、「この医者が、あるいは医院が最善を尽くしてくれるのなら命を預けたい。結果に不満など抱きたくない」とでも言わせる努力こそが先決でしょう。

 それはともかく、私の病気は免疫力や治癒力の問題ではないのかもしれません。そこら辺りを次回通院時に訪ねてみたく思っています。

 余談ですが、鳥インフルエンザ問題などの対応に私は疑問を感じている、と既に触れたことがあります。今のやり方では、悲劇をどんどん大きくすることでしょう。なにせ、人間に飼われた鶏は、免疫力など自然治癒力を高める機会を奪われている。逆に野鳥は(免疫力が高いなど)強いものが生き残る。病原体の方は、その強い免疫力を上回る強さになって襲いかかるが、決して全滅させない。全滅させたら自分たちの首を締めることになる。かくしてイタチごっこのようなことが野鳥の世界で繰り広げられ、どんどん病原体も強くなる。その頃に、気の緩みで鶏舎に病原体を入れかねないとは限らない。

 それよりもなによりも、今日の医療システム、治療にかけた時間や経費、あるいは投薬などを増やさなければ医者や医院の収入が増えないようなシステムは放っておいてはいけないと思います。それでは、医者をキリキリ舞いさせかねず、それが患者不在にするだけでなく、健康保険制度を必ず破綻させることでしょう。