感動のメール
 

 海詩は制服がある小学校(Hurupaki Primary School)に通っていますが、ときどき私服で登校して良い日が指定されるそうです。

 先週土曜日発行のWeekly School Newsletterによると、火曜日がMufti(マフティー)に決まったとのこと。Muftiとは平服という意味だそうですが、ここでは”私服を自由に着て行って良い日”という意味に使われています。

 制服のある学校(小、中、高校)では1学期に1回程度の割合でMuftiが実施 されるとのことですが、毎回着る服のテーマも決められます。

 当日も制服を着たい人は、もちろんそれもOKですが、私服を着る人 は、学校にお金を支払う必要があります。払う額はまったく自由で、事前に決まっているのは、それで集まったお金をどこに寄付するのかという目的が知らされます。

 Muftiの日は学期末に設定されることが多かったようですが、今回はタームの半ばだそうで、それはクライストチャーチ市への寄付が目標だとのことです。着る服のテーマは、クライストチャーチ市のシンボルカラー(赤と黒)であり、いつものようなコインでの寄付ではなく、「クライストチャーチ市民のために、紙幣($5以上、という意味)を!」という校長先生からのメッセージ付いていたそうです。

 5歳から10歳の児童の通うプライマリースクールですが、「寄付は施しではなく、分け合いだ」と教えているそうです。

 この知らせを受けて、私は感動したわけです。それは、24年間にわたって服飾に関わる仕事をしてきたおかげです。まず勤めた商社の繊維部門では、原料(生地どまり)しか扱っていませんでしたが、製品化することを私は提唱し、採用してもらっています。その関係でソフトウエアーの充実が必要だと気付かされ、伊藤忠ファッションシステムという子会社を創らせてもらい、8年にわたってこの運営に関わりました。

 最後の8年は、大手アパレル企業の社長室長を勤めたり、子会社の社長として経営に携わったりしています。そこで勤め人をやめ、それまでの経験やデーターなどから、来るべき時代を読みとって、一書にまとめています。処女作です。バブルがあらわになり消費を煽る世の中になった真っ盛りの1988年6月に出版してもらえました。

 服装から消費者を分析し、未来を予測したわけです。少数派であったけれども来るべき次代を予感した人たち、つまり次代のオピニオンリーダーと見た人たちを、正確に言えばファッションの次元を超えた服飾に挑み、まるでムーブメントのシンボルであるかのように用い始めた引っ立ちに注目し、その人たちが指し示す方向を読み解いたわけです。

 ポスト消費社会の旗手たちとの副題をつけた一書の誕生です。23年後の今も、読み返してくださるすべての人が、最近書かれた本だと思いました、との感想をもらしてくださる。もちろん当時、産業界や金融界の大物と言われる人を含めて500人に献本しましたが、事業社会を動かしていた人たちで目を止めてくださった人は皆無でした。

 その中にあって、とても関心を持ってもらえたのがアイトワ塾の人達であったわけです。

 自慢話をしたいのではありません。服飾には、多くの人が考えている以上の力が秘められている事を訴えたいのです。日本の服飾を見ていると、あまりにも様々な価値観の人が混在していることがわかります。ですから、このMuftiについても賛否両論でしょうが、日本も次第に、賛成派が増える方向にむかうであろうと見ています。

 最後に、Muftiを肯定的に観る人が圧倒的多数のNZ(の一角?)で写し撮ったカットを以下添付します。
 
お金が無い芸術家が多いのでしょうか、一歩間違えばガラクタで創られていました。しかし、私はなんとも言えない美意識を感じ取にらされました。並べ方、組み立て方、選ぶペンキの色、などの工夫で、美しく感じ取らされたのです。一般的に、NZの人たちの生活は質素ですが、公共物はとても綺麗にしている。その典型が、水や空気です

芸術家村での一角。