通院
 

 若き担当医は熱心で誠実な人に違いないと見ましたが、態度は良くない、と思いました。エコー検査やレントゲン検査は異常なし、と思われますが報告なし。エコー検査時の専門医への質問では「異常は見当たりませんが、担当医から詳しく聞いてください」でした。にも関わらず担当医は一切触れず、レントゲンは写真も取り出さず、何のために大枚を払わされたのかまったく患者には意味がなかった。

 血液検査の結果を質すと、1点を除いて異常なし、とのことでしたが、大きな疑問が残りました。私にとっては一番の関心事であった検査をしてもらえていなかった。つまり、飲み続けよと迫られていたワーファリンを飲まなかったことによる影響を調べる検査はしなかった、という。薬を飲んでいないのにその効果を調べる必要がありますか。「分かりますか」との返答でした。

 もちろん、「私はあなたに長生きしてもらいたいのです」、「投薬に応じない人の診断に応じるという病院があったら教えて下さい。いつでも紹介状を書かせてもらいます」、「これまで飲んでもらってきた投薬量が最低限の必要量です」、あるいは「私は近代医学しか知らないので」との断りもありましたが、「元気で(この特診に)来てもらえないのでは、と思っていました」との発言もありました。この間に私は次の発言をしています。

 私は好ましくない船に乗り合わせた船頭のような立場だと分かっています。それだけに、「私の体について、先生に一緒になってもらって、どうすればよくできるのか、と考えていただきたいのです」、「私は、薬物依存症になるのを恐れています」、「薬の量を変えながら様子を見ていただき、最低限の量に、出来れば薬なしでも生きられる体にできないものかどうか、ということを調べて欲しいのです。もちろんそこで生じるリスクは私が張る覚悟です。私の体を用いて自然治癒力で生きてゆける体にもどせないものかどうか、関心を持って立ち向かって欲しいのです」。もちろん、「私がこうして通い続けているのは、この病院に期待してのことであり、より良い病院になってほしい、と願いからです」とも述べています。

 一番残念だったのは、次の会話でした。医師「あなたのようにいつ(投薬を)拒否するかわからない人の相手はできない」、私「断ったのは今回が初めてです。同じ希望を(前任者にも)訴えはしましたが、説得されて飲みつづけてきました」、医師「そんなことはない」と言ってカルテをくり、過去の記録をひきだしました。そこには、投薬を拒否している、といったようなことが記されていましたが、当然投薬を絶った、とはありません。

 けっきょく、「あなたの発言を妻が知れば、あらぬ心配をしますので」といって、担当医の判断通りに飲むことにしました。「飲み忘れることはしかたがないが、投薬量を変えたときは忘れた分は捨て」順送りにして飲み続けることはやめてほしい、と念を押されました。これに応じますと、「それなら診察します」と言って、初めて血圧計と聴診器を使ってもらえたのです。つまり、得心できないまま首を縦に振らざるをえなかったのです。

 その時に私が考えていたことは、最初に世話になった医師たちであり、とりわけ看護婦さんたちの献身的な介護でした。とても信頼に価する病院、と評価してきました。

 帰途、若き前任者にも失望させられている自分に気付かされました。投薬を拒否している、といった記述で片付けおり、私が体を張って訴えている意図を連想させるような記述がなかった、と見たからです。こうした患者本位でない片手落ちな記述が、「病院に対して反抗的な人」と次の医師に思わせ、先入観で動かせてしまうのではないか。振り返れば、患者の意向に耳を傾けようとする態度は当初からなかった。

 私がサラリーマン時代にとり続けた言動とは対極の世界が医療界の現状ではないだろうか、とさえ疑う気持ちが湧き上がっています。そこで、若き担当医は熱心で誠実な人に違いないが、態度は良くない、姿勢は良くない、とみました。それは個人の資質も関係しているでしょうが、日本の医療界自体の問題ではないか、とも疑いました。

 過去の産業界にも、同じ程度の企業が多かった。クレームをしてくれる人を、うるさい人、言いがかりをつけてきた人、と受け止めていた。その態度に激昂する人をつくっておきながら、「ヤクザに絡まれています」と上司に報告することさえありました。

 30数年前に、私はそうした現実に直接関わっていましたが、同業者が連絡会を持って対応していたことも知っています。業界全体が、クレームを付ける人をまともでない人と見下すような、思い上がった態度をとっていたのです。

 そこで私は、勤め始めて間もない再就職先で、クレーム担当総責任者を買ってでています。8年にわたって、この企業に寄せられたすべてのクレームに関わりました。もちろん、プロレスラーのような若者を引き連れて押しかけてくる人もありましたが、1件として理不尽な主張を体験していません。それは、相手の意図を健全にら読みといて当たれば、やましいお金を支払わされるようなことは一度も生じなかった、ということです。

 その様子は『ブランドを創る 商標・サービスマーク育成の精神』(1992 講談社)に詳述しています。自慢話めきますが、その態度が、8年間にわたってその企業が増収増益を続けることができた1つの大きな要因だと見ています。私が辞職後、この企業はこの役割を引き継ぐう人を設けていませんが、その後は増収あれど、それまでのような利益を挙げられずじまいになっています。