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アイトワ循環図

旬産旬消で自活力 11/04/03

 庭がとても華やいだ1週間でした。次々と草木が花を咲かせ、小鳥がさえずり、山菜が芽吹き始めた上に、来客の姉妹が庭で蝶のように舞ったのです。また、庭仕事に追われたり外出が重なったりしたのですが、少しも疲れませんでした。それは幾つもの懸案が思い過ごしであったことが分かったり、大勢の同じ思いの人と巡り会えたりしたお陰です。

 来客にいつまでも吠え続けるハッピーを夏の館に移しましたが、ケンも臭いの関係で、先週から居間に隣接した風除室から元の住処に戻しています。戻しながら、また寂しげになくのではないか、と不安でしたが思い過ごしでした。過日、カリンの実の活かし方を学びましたが、今週はこれまで捨て去っていた姫リンゴの実の活かし方が分かりました。

 来客や外出が多かったのですが、庭仕事も思いのほか進みました。まず、玉ねぎの畝の片方の肩に残っていた野草を手始めに、寸暇を惜しんで除草に励みました。種を結ばせずに済むぎりぎりのタイミングです。また、さまざまな野菜の花芽を計画的に摘みとって漬物にしました。計画的にとは、まず2〜3の菜には手を付けなかったことを意味しています。次に、ある畝は花芽を摘み取ったあとの菜を抜き取り、堆肥の山に積みましたが、残りの畝では抜き取らず、次の花芽を出させ、花園にすることを意味しています。もちろん、残した2〜3の菜は自然交配した種を結ばせ、アイトワ菜の種として収穫するためです。

 植木鉢の手入れにも精を出しました。新芽を出し始めたネコヤナギは、枯れた枝を切り取った上で格好良く整枝し、カフェのテラスにデビューさせ、逆に、テラスで花期を終えたウメの鉢植えなどは、養生のために運び出しました。数年にわたって土を替えずに放ってあったリンゴやリコリスなどの鉢は土替えをし、ニホンサクラソウ、スズラン、あるいは八重のドクダミなどは、土替えを1年飛ばし、肥料分に富んだ土を加えました。温室で自然生えしたハナタバコの苗は、ポットで育てていたのですが、大きな鉢植えにしました。 かくのごとく40余りの鉢にさまざまな手入れをして出番に備えさせました。

 来客にも恵まれました。いつも2人で行動するご夫婦は、いつものようにまるでオシドリでした。家族連れの2人の娘は、庭に咲いた「花のようだね」と見ていううちに、花を訪ねまわる蝶のように舞い始め、人形教室でも人気ものになったようです。昨年まで農家の農業指導に関わっていた知友にも訪ねてもらい、ある専業農家に案内してもらいました。また、素晴しい運動を繰り広げている知友の、飛び込みのような来訪もありました。

 楽しい外出や出会いにも恵まれました。まず京都府が関わる「『京の公共人材』未来を担う人づくり推進事業・報告会」に招かれたのをはじめ、ある編集会議にも参加したのです。とりわけある編集会議での出会いは嬉しかった。その女性は自己紹介で、「わが家では夫婦で、アイトワのような生活を目指しています」と話されたのです。近くお宅を訪ねたくなりましたが、いずれ妻と一緒に招いてくださりそうです。

 このところ急に、ライフスタイルの転換を願う人や、アイトワのような生き方を目指す人とめぐり合う機会が増えています。その共通点は、自己完結性の高い生き方を理想にしていることです。アイトワでは、旬産旬消を楽しみながら自活力を高め、国産国消に貢献したく思っています。つまり、お互いに独立性の高い人や家庭や国を目指し、個性を育み、その多様な個性を愛で合いながら、モノやココロを分かち合う世界にしたいのです。今の日本は、その逆になっていそうで、とても心配です。

ヤーコンの葉を、遅ればせながらに刻むことから始まったような1週間でした。茨木から訪ねてもらって可愛い姉妹に、庭の薬草で造った入浴剤を用い、庭の薪で焚いた風呂を体験してもらいました。ヤーコンを刻んだ茶葉を見てもらい、自分にも作れそうだと気づいてもらいたく思ったわけです。

ケンを風除室から元の住処に戻しました。ケンが放つ臭いが居間に流れ込むことを気にかけたわけです。問題は、またぞろ寂しがって夜鳴きまでするのではないかとの心配でしたが、とても静かです。特製の布団が気に入ったのか、あるいは、かつては寂しがっていたのではなく、病態を気にかけ、不安になっていたのもしれません。

今年最初の菜の花弁当は、京都滞在中に震災が生じ、帰るのを延期したご夫婦に振る舞いました。2度目の菜の花弁当は、余震や放射能問題が残る茨木に帰っていった家族に、道中の弁当として用意しました。妻は、この姉妹なら、上手に手伝ってもらえそうだと読み、人形教室のかたわら手をつけました。見事な出来栄えでした。トッピングは、菜の花に加え、過日ハカマを取ったツクシや初物のコゴミとかミツバでした。

玉ねぎの畝の除草。なぜか片方の肩だけ除草をし忘れていたのです。そのまま花を咲かせて種を結ばせ、無数の種を落とさせたら「元の木阿弥」です。ここ数年の除草努力を無駄にしてしまいかねないところでした。

ミツバチの師匠から、キンリョウヘンの育て方を改めて学びました。なんとこれまでは根腐れさせかねないことをしていたのです。以前にきっちり学んでいたのですが、行動に移せていなかったわけです。実践を伴わない環境論は問題含みでしょうが、有限実行している人の生き物論も、実践に移しておかないと無駄にしかねない、と反省しました。

縄文晩期から稲作していた西京区に出かけ、タケノコ、ナスビ、そしてコメを主産物とする専業農家を訪ねました。国は、タケノコを掘る竹やぶは農地、その他の竹やぶは林地として扱うそうです。この実践を伴わない縦割り発想が、自己完結能力を疎かにする国や人にしていたようです。その弱点がこのたびの震災で顕にされたように思います。

砂利道を部分舗装する工事がやっと完成しました。よい工事だったと思う反面、配慮不足を反省しています。かつて独力で作った一輪車階段では途中で気づき、採用し、庭の案内時に自画自賛しているアイデアを採用し忘れていたのです。それはともかく、左官業もこのたびの震災で材料調達に問題が生じているそうです。そのうちに新聞も、いつでも買えるとタカをくくっていた印刷インキが切れ、発刊できなくなるのではないでしょうか。