その本質
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京都府が関わるこのプログラムには、同志社大学大学院での講義も含まれていますし、同院は別途、アイトワにも受講生を派遣する「オーガニック生活・社会デザイン論」という講座をお持ちです。この両者の受講生にアイトワが提供する学外講義の本質は、おのずと類似の関係にあります。そこで、昨年度の「オーガニック生活・社会デザイン論」での講評を開示し、そのニュワンス汲みとっていただきたく思います。少しテニオハを改めました。 「この講座では、私たち(夫婦)が豊かで幸せと感じている生活の一端を体験していただき、私生活や社会をデザインし直すうえで参考にしていただきたく願い、受講生を受け入れました。結果、受講生の皆様にはとても真面目に取り組んでいただき、喜んでいます。 豊かさや幸せの追求は人「さまざま」の課題でしょう。しかし、この「それぞれ」は、「何を」大切にするのかというモノサシを見定めると大きく2つに分類できそうだし、そのいずれを選択するかがこの課題の本質、と私たちはいつしか考えるようになっています。 そのモノサシとして、私たちは経済的資産、人的資産、そして環境的資産の3つを取り上げ、このいずれに優先順位を与えるべきか、と模索してきました。この優先順位付けと比重のかけ方によって、豊かさや幸せ観が大きく2分される、と見たからです。 やがて私たちは、工業社会は経済的資産に偏重しており、それは破綻への道、と疑うようになっています。40年ほど前のことであす。なぜなら、環境的資産のみで生きる野生生物を次々と絶滅の淵に追いやっており、それは人類にとっても生きる基盤であるからです 紆余曲折の結果、私たちは環境的資産を大切にする人の環を人的資産と見定め、その環の大きさに真の豊かさや幸せの源泉を見据えるようになりました。そしてその環が広がるにつれて、この生き方なら生まれ変わってもやり直したいと思うようになっています。問題は、この生き方を私たちはオーガニック生活と見ていますが、思わぬ壁にぶち当たっていることです。 その壁とは、工業社会のシステムです。たとえば、税制1つを見ても、オーガニック生活を勇気づけるものではなく、逆に高負担を強いています。そうしたシステムが、地球温暖化はもとより家庭崩壊にいたるまでの諸問題の根源、と睨むに至ったのです。 このようなことを一緒に考え、それぞれの住み着いた環境的資産にそくした生き方が文化の母体であり、それを個性発露の源泉にする社会の創出が求められる、と気付きあいたい。そして、一緒に社会をデザインし直したいと願い、このたびの学外講義に応じた次第です。 これがわが家流のオーガニック生活・社会デザイン論の捉え方であり、受講生の皆様を歓迎した背景です。受講生の皆様は、さまざまな受けとめ方をされたことでしょうが、何かを感じ取っていただけたような感触を得ており、感謝しています」 |