創造力を触発
 

 自然は人間の思ったようにはならず、2つと同じものを創りません。また2度と同じことを繰り返しません。ですから、自然の力を十分体験的に習得していない科学者は想像力に欠け、恥らいもなく「想定外」という言葉を使えるのではないでしょうか。また、そうした科学者を、利得第一主義のような政治家や企業家は、責任を転嫁するために上手に活かそうとするのではないでしょうか。

 『沈黙の春』で危うい科学力と、危うい科学力を歓迎しかねない社会に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンは、絶筆に『ザ・センス・オブ・ワンダー』を選んでいます。それは、子どもは幼い間に、自然の中に飛び込み、あるがままの自然に身を晒す機会や時間を与えられるべきだ、との信念がそうさせたのではないでしょうか。

 都会のマンション暮らしなどだと、ややもすれば子どもは屋内や市街地で過ごしがちです。そして人造のオモチャやゲーム機器、公園、あるいは食べ物など、人工物中心の時空に身を晒す機会や時間が主になります。一見すると、子どもが楽しそうに主体的に遊んでいるように見えますが、実はそうではない。いかにすれば子どもの欲望をそそれるのかと日夜研鑽している人や企業が、巧妙に仕組んだプログラムに載せられているだけかもしれません。子どもは遊んでいるのではなく、遊ばれているだけ。もちろん、子どもに甘くなりがちになる親や祖父母などは弱みにつけ込まれているだけ、ではないでしょうか。